時にビジネスパートナーとして、時に気心の知れた兄妹として、時には喧々諤々のぶつかり合いをして、今日も決断を続けています。
手掛けてきたこと、新しく始めたことは、自分たちの成長速度に併せて変えてきました。一方で、手掛けるのを留まったこと、すっかり止めてしまったことも、同じくらいの数あります。2007年に開店し、そこから12年あまりが経った今、その数々の決断を振り返ってみました。
「北欧、暮らしの道具店」を愛してくださるお客さまはもちろん、社員として仕事をする仲間たち、そして関わってくださる皆様にとっても、この振り返りを通じて、「クラシコムとは何なのか」を考える一端になれればと願っています。
左・代表青木(兄) 右・店長佐藤(妹)
初めての事業で失敗…「最後の社員旅行」が転機に
かつてはバンド活動に精を出していた兄妹は、クラシコムを創る前にも共に事業を興そうとしたことがあります。しかし、カフェを手掛けようと立ち上げた会社「ベッドタウンプロダクションズ」は、事業を行う前に解散。バンドも、カフェも、いつも兄が妹に声を掛けて始まりました。
ベッドタウンプロダクションズの解散後、それでも自分は起業家として、経営の道に進むことを決めた青木は、資金と知識を蓄えながら仕事を続けていました。妹は、自分の気の向くままに仕事を変えながら、インテリアコーディーネーターとしての仕事に就きます。
クラシコムの創業は、2006年9月。またも、兄が妹を誘って始まりました。クラシコムがチャレンジしたのは、不動産を扱うIT事業(だからこそ社名も、「暮らし」にまつわる「ドットコム」なのです)。
しかし、この事業は軌道に乗らず、早々に撤退します。創業資金も減り、先行きの見えない中で、青木は古本を仕入れて売る「せどり」で食いつなぐ日々。ところが、その状況に悲観的になるどころか、青木はむしろ「楽しみ」を感じていました。
青木
「それまでの不動産事業は、自己資金だけではまかないきれなかったり、システムも自分では作れないから外注しなくてはならなかったり、自分でコントロールできることがすごく少なかった。でも、せどりは何から何まで全て自分でやる仕事。仕入れして、ネットに出品して、お金を回収して、本を発送して……そのサイクルに快感を覚えたんです。」
佐藤
「でも、周りは『ツラいんじゃないの?』と思ってはいました。一念発起した事業で失敗して、身なりも少しパッとしなくなって……(笑)。だけど、本人はそこに幸せを感じていたと後で聞いて、かなりびっくりしたのを覚えています。」
青木
「毎日、トランクみたいの引いて出かけてね。でも、重さに耐えられなくてタイヤが壊れるから、ホームセンターで買った荷運び用のキャスターで改造したり。それも楽しんでました。」
ただ、これまでの事業は、兄(青木)が妹(佐藤)を誘って始まってきただけに、青木の心中にはどこかで「申し訳なさ」があったといいます。
そこで、残った創業資金を握りしめ、「最後の社員旅行」へ出かけることに。行き先は、佐藤の興味があった北欧でした。
逆の立場になって見えた、ネットショップ開業の道
青木が磨いてきた「せどり」の感覚もありましたが、せっかくなら何かを買い付けて帰ってこようと思い立ちます。
買うもののセレクトは、「暮らし」が大好きだった佐藤が担当。20代の頃に好きでとにかく雑誌や書籍で大量にインプットをしていたこと、インテリアの仕事に就いていたこと、オークションなどもよく見ていたことから売れ筋を見抜く目が養われていました。
ここで、兄妹の役割が初めて逆転したのが、後の二人にとっての転換点になりました。
青木
「妹が選んだものを、僕が支払いして緩衝材で包んでいる間に、妹は次の商品を買っているようなスピードで。『お兄ちゃん、早く!』って急かされてましたね(笑)。」
佐藤
「そうそう。これまでは兄が考えたものを主役に、私が得意なところをサポートする関係だったんです。それがストックホルムでの日々で、逆の立場になった。今思えば、私も主体性に目覚めた瞬間でしたね。俄然、火が付いた感じでした。」
青木
「たぶん、自分の得意なことなり、自分自身の取り扱い方を、お互いに誤解していたんです。人生が動き始めた感じを、強く覚えました。」
北欧への買い付けの様子。本場のヴィンテージ雑貨に大興奮のふたりです。
クレジットカードの限度額いっぱいまで北欧のヴィンテージアイテムを買い付けてきた二人は、品物を骨董市などで売ることを考えながら帰国。ところが、不慣れな梱包作業ゆえに、到着したものが半数以上が割れてしまっていました。このままでは元が取れない。しかし、どこかでは売りたい。
そこで出会ったのが、ネットショップという方法でした。その頃、二人が影響を受けたのが、女性下着メーカーのピーチ・ジョン元社長である野口美佳さんの著書『男前経営論』。本では、「顧客リスト」の重要性が説かれていました。
出店費用が安価なネットショップで、なおかつメールマガジン会員を主軸にした顧客リストを構築する。現在にもつながる「クラシコムの商い」の基礎が生まれた瞬間でした。
ネットショップ運営は全く経験がないなか、自らHTMLを書き、Photoshopを習得しつつ、サイトを手作りする日々が始まりました。ここでも頼ったのは先行事例の指南書たち。「書いてあることを愚直に全部やろう」と青木は決めていました。
青木
「今でもそうなのですが、何かを始めるときは初心者向けの指南書も複数買って、一通りのことを学ぶんです。たとえば、ネットショップ運営の『10個のコツ』があるとして、競合しそうなお店でその10個ちゃんと実践しているところが、見る限りはほとんどなかった。
どうせわからないことなのだから、僕らはその10個をしっかり守るだけでも、勝ち筋になるんじゃないかと思いました。」
ネットショップといえど、訪れて楽しい場所にしたい。その思いから、二人はブログ記事などの読みものコンテンツも用意しながら、開店準備を着々と進めます。
2007年9月18日20時、「北欧、暮らしの道具店」が開店。
メールアドレスを事前登録した人を含め、オープンと共に売れていく品物たち。佐藤は当時の自分を、こんなふうにブログに残していました。
“売れていく度、パソコンの画面に向かって「ほんと、ありがとうございます!」と、おじぎをする。”
“このオープンした日の気持ちを忘れないように、そして周りでこうして応援してくれている家族や友達、そしてこれから知り合っていくお客様への感謝の気持ちを忘れないように、カッチリと心に刻んでおきました。”
逆の立場になって見えた、ネットショップ開業の道
無事に開店した「北欧、暮らしの道具店」。この動き出しに、もともと起業を志していた青木は、ひとつの光を見ていました。ストックホルムへの買い付けのときから抱いていたという期待が、確信へと変わりつつありました。
青木
「初回の買いつけから『このビジネスはイケるかも』とは思っていて、そこから研究を始めたんです。考えていたことは、主に2つ。ビジネスの成長を阻む要因は何か。それから『北欧』というマーケットの可能性です。
ただ、後者に関しては『絶対にいける』と当時から感じていました。北欧はグローバル企業が多くて日本でもマーケティングを強化しており、そのメッセージ性も『洗練さ』のような感覚で高めていたので、僕らが働きかけなくてもブランド価値が向上していく見込みがあった。クライアントがいるならば、雑誌なども定期的に北欧特集を組むでしょうから。」
開店した2007年は、日本にとって「北欧」に触れる転換点が起きた直後でした。2006年3月には、今でも根強いファンが多い映画「かもめ食堂」が公開。翌月4月にはイケア船橋が開店と、「北欧」への興味は高まっていたのです。
青木
「『北欧』が定期的にリテンションされるワードだからこそ、波には乗れると思ったんです。おそらく、インテリアの大きなテーマとして、フレンチ、ブリティッシュ、アジアに続く定番として『スカンジナビア』が今後入ってくるとしても、日本発で多店舗展開しているような企業は存在していませんでした。つまり、ビジネス構造的には継続的な成長が見込めるのに、まだ『勝ち』が決まってない。これは参入するポイントだなと。」
ストックホルムで買い付けた品々は、もう底を尽きかけていました。縁のあった北欧雑貨店主から在庫を買い取るなどの補充をしながら、お店はなんとか継続。佐藤は2007年末に勤めていたインテリア会社を退社し、店長一本でやっていく決意を固めます。
この時代に効いた販売施策が、メルマガによる先行発売。限定価格も提示することで、購入する前からメルマガ登録を期待できました。先行事例である『顧客リスト』の重要性に則ったのです。
佐藤
「新商品も一気に100点近くを掲載して、そのオープン時刻をメルマガでお知らせしていたんですね。しかも、メルマガ会員さま限定の10%オフセール。そのセール時間を終えると、一般販売に切り替わるんです。
すると、メルマガを送ったらすぐに、リアルタイムで商品たちが売れていって。もう私たちとしても有り難いし、ゾクゾクッとするくらいに面白かったんですよね。」
メルマガに誘導する当時のバナー(今見ると、サイズがばらばらなのもご愛嬌…)。
自分たちが良いと思った商品を仕入れ、欲しいと思う人が買っていく。このサイクルにすっかり魅了された二人は、販売実績をもとに、2回目の北欧買い付けへ。
前回の『半数が割れていた事件』を踏まえ、無事に日本へ持ち帰った在庫は、着実に売り上げを重ねていきました。在庫を置くために、初めてのオフィスを構えたのもこの頃です。
最初のオフィス(2008年3月撮影)少しずつ手作りでインテリアも整えていきました。
ただ、北欧という遠い場所で買い付けることの大変さも、二人は身に染みていました。しかし、販売実績を上げていくためには在庫が必要。青木は以前から温めていた『仕入れモデル』を実行します。
青木
「徳島県上勝町で、現地のおばあちゃんたちが山から摘んできた花や葉を、料理の“つま”として売る『いろどり』という会社があります。同じような仕組みを、北欧ビンテージ商品の仕入れでも作れないかなと。
このビジネスのスケールを阻む要因は、何よりも自分たちで目利きして選び、買ってきていること。だからこそ誰か個人の目利きに頼るのではなく、現地で買い付けができるバイヤーネットワークを作り、商品を仕入れることにしました。
まずバイヤーへ購入資金を渡し、現地で買い付けを実施。仕入れたものが売れた場合は、粗利の一定額を報酬として渡すモデルです。販売実績に応じて、預けるバジェットは大きくなっていきます。最終的には8名ほどからなるネットワークになりました。」
現行品をスタート…しかし「これではブランドが作れない」
2008年4月、オープンしてから約半年で月商100万円を突破。それまでお店の成長にお金を使ってきましたが、初めて「クラシコム」名義の給料16万円を自分達に支払うことに。通帳にその名前を見たときのことを、佐藤は「すごく嬉しかった」と鮮明に覚えているといいます。
時を同じくして、青木はビジネスのスケールアップを目指し、ヴィンテージに加えて、いわゆる新品を仕入れる「現行品の取り扱い」を決めました。
青木
「僕のマインドとしては、良いものをみなさんに紹介するだけでなく、やっぱり産業を興したかったんです。自分の仮説をテンポよく実行して、もし失敗しても……まだ、何ということもない。当時は社長たちが給料16万円の小さな会社なわけですからね。」
ここで二人は勝負に出ます。日本政策金融公庫から資金を借り入れ、再び給料をストップし、在庫を置くオフィスも拡大移転。さらに、アルバイトを2人採用しました。
2つ目のオフィス。在庫を置くために広めの場所への引っ越しです。席も増えて少し会社らしくなってきました。
ところが、これまでオークションサイトなどの先行例があったヴィンテージと異なり、現行品は価格も含めて売るノウハウを持ち合わせていません。
そこで取り扱いを決めた際に、まずは一度、『北欧』という枠を取り払って商品を仕入れてみたこともありました。日本メーカーのキッチンツールなどもラインナップに入れてみるも、どこか違和感が残りました。
佐藤
「発注書の作り方さえわからないから、一生懸命自分なりに調べて、電話をかけたりFAXを送ったり……でも、ようやく届いたものがオフィスに全部揃ったとき、『あれ?何か違うな』って感じたんです。今になって思うのは、この商品群ではブランドが作れない。せっかく仕入れたけれど、一旦は売らずに置いておくことにしました」
青木
「『北欧、暮らしの道具店』のキャラクターを立てていくためにも、当面は北欧に絞ろうと。そこで次は、北欧の現行品をどこよりも揃っているお店にしよう、と佐藤にお題を出しました。」
佐藤
「マリメッコ、イッタラ、ダンスク……あらゆる北欧のものに関しては、ここが一等地!というお店にしてほしいって言われましたね。」
ビジネスバイブルの教えの通りに突き進む
それほどに網羅性を重要視したのは、ポール・ホーケンの『ビジネスを育てる』を読んだ影響も大きかったといいます。このスモールビジネスを成功させる秘訣を記したアメリカ発のベストセラーは、青木が「僕のビジネスに関する考えの基本はすべてここに詰まっている」と語るほど。
本書の「やるなら完璧に」と銘打たれた章に、こんな一節があります。
“ペットショップでも、花屋でも、窓拭きでも、自転車屋でも、どんなビジネスでもいいが、やるなら徹底的にやろう。ベストの品を揃えよう。地域で一番と言われるようになろう。競合社があなたのビジネスを基準として評価されるような権威になろう。──『ビジネスを育てる』p,100より”
青木が北欧、暮らしの道具店をつくるのに参考にした本はこちら。
青木
「この頃は余計な工夫やセンスを発揮しないようにする、言わば『セオリーのスタンプラリー』の時代。自分たちよりビジネスに通じた人が言っているのだから、それを3年くらいは、ただ実行しようと。なぜなら、自分たちが工夫しちゃうタイプだとわかっていたので。」
佐藤
「「とにかく実直に」ってね。でも、この頃が一番ケンカしてました。やっぱり、工夫ができない分、つまらなかったんですよね……。」
実行したセオリーの一つが他店舗展開。大手ECモールに出店し、小規模な実店舗もオープン。ただ、実店舗は仕入れの段階で『店舗がないと卸せない』という得意先があったため、慌てて作ったという裏事情もありました。セオリーに則ってリスティング広告も開始。佐藤はひたすら『売れるためのランディングページ』を作り続けます。
そして、青木が考えていたのはビジネスの再現性を高めること。たとえば、作家さんの商品や季節物といった『期間限定商品』を取り扱うと、一時は大きな売り上げが作れるかもしれませんが、それを支えるオペレーションも必要になります。しかし、オペレーションは固定費に跳ね返ってもくる。
『まずは平準化ありき』として、プロパー商品だけを調達し、平準的に売ることだけに注力したのです。歯噛みするような日々を経て、2010年には月商1000万円の大台に。仕事も増え、工夫も凝らせず苦しかった時期を乗り越えられたのは、お客さまの存在があったからでした。
佐藤
「ブログやメルマガといったコンテンツを好きでいてくれるお客さまには、本当に励まされ続けましたね。当時はブログのコメント欄も開放していて、常連さんが好意的なコメントをくださったり。今のSNSに比べれば、数も少なく、ライトなコミュニケーションかもしれないけれど、救われました。あとは何より、販売すると買ってくださる方がいる、という事実は大きかったです。」
お客さまとのふれあいで、今でも「楽しかった!」と目を輝かせるのが、2008年11月に行ったイベント「クラシコムの蚤の市」でした。オフィスにお客さまを招き、店内いっぱいにヴィンテージ商品を並べて、交流しながら販売したのです。
佐藤
「あれは楽しかったです。朝、お客さまが外まで並んでくださっていて。その様子を、当時3階にあったオフィスの窓から見たときは感動しました。Ustreamで中継もしたら、海外から見てくださる方もいたりして。」
青木
「すごく自信になったよね。ただ、狙いは他にもあって。採用したアルバイトスタッフに何を教えていいかもわからなかったから、まずは『わー!』っと仕事を作ってみて、達成感を持ってもらいたかったんです。」
佐藤
「蚤の市の時だけは、青木さんから『工夫』を止められなかったんですよね。久しぶりに『ワクワク』だけでやり切れたなって。あぁ、今、あのイベントに行ったら楽しいだろうな。お宝満載のビンテージだけを、たくさん見て買える場所……今なら私も並ぶかも(笑)。」
妹に本心からの「おめでとう!」を言うために
2009年も堅調に運営を続け、社員も採用。現在も良きパートナーである倉庫との契約も進め、2009年末には出荷業務の外注化を実施します。それと同時に、制作を考えていたバイイングシステムの実装も行われることに。きっかけは、佐藤の妊娠でした。
青木
「妹の妊娠は、一緒にこのビジネスを始めるときから考えてはいました。彼女が『子どもができたよ』と伝えてくれたときに、本心から『おめでとう!』と返してあげられるように、準備をしておかなければと思っていました。
一時期、自分たちの給料をなくしても人を雇い入れたのも、妹がいなくても仕入れができるようにシステムを作るのも、とにかく『チームにしておかなければ』と考えていたんです。産休中でも新しいことを始めなければ、なんとか待っていられるくらいの軌道には乗せられていました。」
佐藤
「最初から『残業しない』仕組みにしたのも、私にライフイベントがあっても責任ある仕事を続けられるように、という考えあってのこと。兄が先手を打って、それらの仕組みを会社の文化として整えてくれるのは、私も感じていました。」
2010年末には産休に入った佐藤。この頃の気持ちは今でも忘れないと言います。
佐藤
「出産後に過ごしていた実家から国立に戻ってきて1週間ほどしたら、兄から電話がかかってきて。『そろそろ子どもと二人きりだとさみしいだろう?会社来ても良いんだからな』って。本当はさみしくて、でも『休まなきゃ!』と思ったり、自分の会社なのについて行けなくなるのが怖かったりして、言い出せなかったんです。
『だっこひもの使い方がわからない』と慌てる私に、兄が家まで迎えに来てくれました。コートを着て、オフィスへ行ったら、みんなが『店長!』って声をかけてくれて。
自分の会社なのに、どこか心にあった遠慮が取れました。そこからは、ほぼ週に何回か散歩がてら会社に顔を出し、みんなに差し入れがてらコミュニケーションを取って……としていたから、育休後もうまく復帰できました。
そのときの恩は強く覚えているから、今の社員にもそういうことをしてあげたいなって思うんです。まるで『浦島太郎』みたいになる気持ちが、わかるから。」
この育休中に佐藤はひとりじっくりと、新たな読みもの企画のアイデアを温めていました。その中には、今も続く人気企画「スタッフの愛用品」もあります。
振り返りの第1回はここまで。続く第2回は、現在の「北欧、暮らし道具店」の大きな展開となった“メディア化”への舵切りなど、変化の時期をクラシコムは迎えていきます。
■クラシコムの歩み(社史)
第1回:2006年〜2010年「北欧、暮らしの道具店」が生まれるまで
第2回:2011年〜2015年 ネットショップからECメディアへ
第3回:2015年〜2019年 オリジナルコンテンツへの挑戦
第4回:2020年 映像制作とアプリがもたらす新たな実り
第5回:2021年 「ライフカルチャープラットフォーム」としての進化
第6回:2022年 株式上場という「新たな手段」が可能性を広げる
第7回:2023年成熟を信じ、成熟に支えられ、新たな「3つの期待」を胸に進む