クラシコムには、「フィットする暮らし、つくろう。」というミッションを中心とした経営理念の体系があります。今回、そこに修正を加えることにしました。
全部を作り替えるのではなく、ソフトウェアをアップデートするように、実態に合わなくなってきた部分だけを書き換える、という考え方です。前回の修正を社内に発表したのが2023年末だったようなので2年半ぶりくらいの修正となります。体感値でも3年に一回くらいは何らかの修正パッチを当ててここまできている気がします。
クラシコムは今年(2026年)9月で創業20年。クラシコムが創業から掲げているミッション「フィットする暮らし、つくろう。」に本気で向き合い続ける中で、それをより強固に、また環境の変化に合わせてしなやかに続けていくためには自分たちの判断基準や養うべき能力の定義は変化していく必要があります。
なので、何もかもが不変で同一性が担保されている理念体系ではなく、変化する世界と変化する自分たちに合わせて一貫した目的、倫理観、審美眼によって修正され続けていく、つまり「変わらないために、変わり続ける」理念体系でありたいと思っています。
目次
新しい体系は、こうなりました
まず結論から。新しい経営理念体系の全体像はこうです。

ミッション:フィットする暮らし、つくろう。
マニフェスト(経営方針):自由・平和・希望
ポリシー(判断基準):正直 > 公正 > 親切
ケイパビリティ(能力基準):観察力・洞察力・判断力
プレゼンス(佇まい):オーセンティック × チャーミング × サステナブル
一番上にミッションがあり、それを実行するための経営方針がマニフェスト。その方針のもとで一人ひとりが判断に使う基準がポリシー。その基準を正しく運用するために磨くべき能力がケイパビリティ。そして、それらすべてが積み重なった結果として纏う佇まいがプレゼンスです。
このうち、今回変わったのは三つです。
何が、なぜ変わったのか
変更点1|「フォーム」は「プレゼンス」へ

これまで僕たちは、センシティブ・チャーミング・サステナブルの三つを「フォーム」(身につけたい振る舞いの型)と呼んでいました。
ただ、これがなかなか難しかった。目指すべきものであれば、そこに近づくための適切なフィードバックをお互いにできる必要がありますし、自分自身でも「ここがもう少しセンシティブじゃなきゃだめだな」のように振り返れる必要があります。
しかし「今のはチャーミングでしたね」「もっとサステナブルに」というフィードバックしたり振り返ったりするのは、意外に難しい。確かにそうなっていきたい表象ではあるのだが、抽象度合いが扱いを難しくしている。
そしてあるとき気づきました。これは、目指すものではなかったのだと。
下世話な例えで恐縮ですが、モテたいと思ってモテようとしている人や面白い人と思われたくて一生懸命ギャグやジョークを言おうとしている人って、むしろ目指すあり方に対して遠回りになってしまうことってあるように思います。それと同じで、目指すと到達しにくいけれど、結果としてそうなっていたいものがある。
だとすれば、これは身につけるべき「型」ではなく、正しい判断基準で仕事をし、必要な能力を磨いた結果として、生み出されるすべてのアウトプットが纏う「佇まい」と捉え直したほうが実態に近い。その意味で、今後は「プレゼンス」と呼ぶことにしました。
変更点2|「センシティブ」から「オーセンティック」へ

旧フォームにあった「センシティブ(敏感さ・繊細さ)」は、僕たちがとても大事にしてきた価値観です。ただ、よく考えると、センシティブそのものを目指していたわけではなかった。
関わる人たちの願いや反応を正しく受け止め、何をすべきかを一貫して判断するためには、敏感さや繊細さを保つ必要があった。つまりセンシティブは手段であって、目的ではなかったのです。正直に言えば、「青木さんて繊細そうですね」とは、どちらかというと言われたくない。
では、どう受け取られたいのか。それはやはり「オーセンティック」だと思われたい。高級であるとか権威的であるということではなく、本当にその人らしくて一貫している、ということです。なので、佇まいの一つ目をセンシティブからオーセンティックに置き換えることにしました。
変更点3|「ケイパビリティ(能力基準)」を新たに定義

三つ目は、層の追加です。
正直・公正・親切という判断基準は、与えられただけでは運用できません。慣れた場面ではできても、より大きな責任や新しい挑戦の場面で運用するには、具体的な力が要る。そして力として定義すれば、自分はどこが得意でどこが苦手かを認識しやすくなるし、「ここをもっと強くしたほうがいい」と具体的に言い合える。
フォームとして目指すべき型を掲げていたところから、それを直接目指すのではなく正しい判断基準(ポリシー)を必要な能力をもって行使し続けた先に自ずと現れる佇まい(プレゼンス)であると定義を修正した今、具体的に我々がミッションを目指すプレゼンスを表現しながら推し進めるために必要なケイパビリティ(能力基準)を定義する必要を感じました。
そこで、全員で磨き続けたい能力を三つ定義しました。観察力・洞察力・判断力です。
今回加えた変更はこの三つです。
ここからは変更していない部分も含めて体系の全体を、詳細に解説していきます。
世界認識——そもそも、どう世界を見ているか

クラシコムの理念体系の全体像の解説をする前に、そもそもこの理念体系がそれを生み出した創業者である僕のどんな世界認識を前提にしているかから説明したいと思います。
以前、あるスタッフから「そもそもどういう世界認識から、このミッションは導き出されたんですか」と聞かれたことがありました。そういえば話したことがなかったなと思ったので、今回の体系には前提として書き込むことにしました。一文にするとこうです。
世界の理は不可知だが、その理と人間の理性の働きにより、漸進的に真善美に近づいている。
この世界に何らかの理(大きな法則のようなもの)があると思うかどうかで立場が分かれるとしたら、僕は、何かしらの理があって世界は動いていると一旦認識しています。そして人間が理性的に判断し、理性的に取り組んできたことが、少しずつではあるけれど、歴史のなかで世の中を良くしてきたしこれからも良くなっていく。合理的で、倫理的で、美しいと思えるもの——真善美に、そうやって近づいていける。そう世界を見ています。
願い——理性的である自由がほしい

だから、僕が会社を営むうえでなんとしても守りたいのは、自分たちが理性的であり続けられる自由です。理のある世界においてそこに最適な形でフィットするためのアプローチは「理性的」に判断、決断、行動することだと信じているからです。
「理性的にはこうすべきなんだけど、大人の事情で」とか、「昔からの伝統だから」とか。そういう前例主義や感情至上主義に巻き込まれず、いまどうすれば合理的で倫理的で美しいのかを考えた結果を、常に実行できる体制でありたい。しかもそれは他者から許されるというだけでなく、自分自身の能力的な制約や、衝動や、偏見や私欲からも自由でありたい、ということです。

誤解のないように、僕が「理性」をどういう意味で使っているかも書いておきます。理性とは、論理・感情・感性・身体感覚を統合し、自分にとっても周囲にとっても「ありたい姿」へ近づいていくための力。つまりは、自分と世界に希望することを手放さないための力です。論理的なだけでは理性的とは呼ばないし、感情や衝動のままに振る舞うことも、美しければそれでよしとすることも、理性的ではありません。
ミッション——フィットする暮らし、つくろう。

そのような世界の見方をしているからこそ、ミッションは「フィットする暮らし、つくろう。」になったのだと、考えるほどに分かってきました。

フィットする暮らしとは、合理性・倫理性・審美性、この三つの統合度を、暮らしのなかで少しずつ高めていけていると感じられる暮らしのことです。完全に統合された状態ではなく、高めていけている、という感覚のこと。
この三つは、しばしばぶつかります。「正しいのだけど、これでは商売が成り立たない」という倫理と合理の葛藤もあれば、「確かに正しいのだけど、自分にはどこかダサく思えてしまう」という審美と倫理の葛藤もある。そういう葛藤があるとき、僕たちは「フィットしていない」と感じるのだと思います。
例えば僕たちはサービスを通してお客様のフィットする暮らしづくりにどう貢献し得るのでしょうか?いくつか例をあげてみます。

たとえば、経済的な事情から、満足のいく部屋を借りられなかったとします。「家賃はこれ以上出せない」という合理的な判断と、「こういう部屋で暮らしたい」という美意識は、そうそう一致するものではありません。まさに「フィットしない」という葛藤が生まれる瞬間です。でも、限られた予算の範囲で借りた部屋を、工夫やセンスによって「自分らしい」と思えるところまで引き上げていくことはできる。満たせない条件を、センスと工夫で埋める。僕たちが商品や考え方をお届けするのは、この営みのお手伝いだと思っています。

あるいは、忙しくて料理に時間をかけられないとき。「夕飯はもっと品数があるべきでしょう」という上の世代から受け継がれた倫理観からの声と、いまの自分に実際にできることと(合理的判断)の間で葛藤が生じ、時には罪悪感を感じる人もいるかもしれません。そこに、「品数が少くても十分なのだ」と思わせてくれるようなコンテンツが届くとどうなるか。合理的に決めたはずの食事へのリソース配分を、「これは手抜きではなく、これも一つのあって良い形なのだ」と認識し直すことができる。合理と倫理の乖離が埋まって、フィット感が得られるわけです。

そしてその食卓に、盛り付けや設えの工夫をひとつ加えて、自分の審美眼に合う場にできたら、フィット感はもう一段上がります。合理性と倫理性と審美性の統合がこういう小さなところでも起こせる。
僕たちが商品やコンテンツを通じてやってきたのは、こうした葛藤の統合のお手伝いなのだと思います。そしてそれは、お客さまの暮らしだけでなく、僕たち自身の暮らしにも、会社としてどんなビジネスをどう営むかにも、同じように向き合いたいことです。
マニフェスト(経営方針)——自由・平和・希望

前述したミッションを前に進めるための経営方針が、自由・平和・希望です。
自由——関係性に支配されない
平和——環境に支配されない
希望——不安や恐れに支配されない
自由とは、関係性に支配されないこと。契約関係や資本関係、取引関係のなかで「あの相手の意向に逆らえない」という状態になってしまえば、理性的にはこうすべきだと分かっていても、実行できません。そうならないように、特定の誰かに依存しすぎない関係の結び方を選び、まっすぐにミッションに向かえる状態を保つ、ということです。
平和とは、環境に支配されないこと。望まない係争や、内紛や、消耗するだけの競争に巻き込まれてしまえば、正しい判断よりも目の前の戦いが優先されてしまいます。そうならないように、争いが起きにくい場所と構えを選び、内部の秩序を整えておく、ということです。
希望とは、不安や恐れに支配されないこと。先行きへの恐れに駆られると、人は視野が狭くなり、本当はそこにある選択肢が見えなくなります。そうならないように、不確実な状況のなかでも新しい選択肢を見出せる状態(僕はそれを希望と呼んでいます)を保つ、ということです。そうあるためにも未来を作る設備やシステムや組織に積極的に投資し、事業の中心は蓄積と複利が効く領域に限定したいと思っています。
支配のかたちは違っても、起きることは同じです。感情に振り回されたり、理性的でない思考に流されたりする。それが起きない場所をつくれば、みんなが理性的に仕事ができる可能性が高まる。三つの方針はすべて、さきほどの「理性的でいる自由」を守るためにあります。

これは国に例えると分かりやすいと思っています。同じリソースと同じ機会があっても、戦争を仕掛けられかねない場所や、国内が揉め事だらけの場所や、港湾や電力に投資していない国では、ビジネスは育ちません。だから経営陣は国家の統治者と同じように、安全保障・治安維持・産業振興にあたることを整え続ける。その環境が整っていれば、一つひとつの仕事の効果が最大限、成果とミッション達成につながっていくはずです。
ポリシー(判断基準)——正直>公正>親切

この方針のもとで、一人ひとりが日々の判断に使う基準がポリシーです。大事なのは、優先順位があること。
目の前のお客さまが困っている。パートナーからご要望をいただいた。そんなとき、つい親切が先に立って「なんとかしましょう」から始めてしまうと、その人にはよくても、そこにいない誰かへのしわ寄せになるかもしれない。だからまず、ありのままを正直に見る。全体最適の観点から何がベストかを公正に考える。そのうえで出した答えを、たとえノーであってもできるだけ受け取りやすいように、親切に手渡す。この順番です。
それぞれ、「何ではないか」まで含めて定義しました。

正直は、本音の吐露でも、透明性でも、正しさでもなく、バイアスや自己欺瞞なくありのままを見ること。都合の悪い事実や、願わない現実から目を逸らさないことです。一つ付け加えると、組織で働く以上、すべての情報を全員と共有できるわけではありません。そのとき、ごまかすのではなく「これは共有できない」と明確に伝える。それも一つの正直さだと考えています。

公正は、公平や平等や多数決のことではなく、私心からではなく全体最適の観点から、責任と権限、負担と便益が分配されること。特定の誰かが大きく割を食うのではなく、それぞれがそれなりに負担を分け合える、バランスのよい状況を考えるということです。

親切は、機嫌をとることでも、嫌われないために合わせることでも、望まれない世話を焼くことでもなく、正直に見て公正に判断したことを、相手が受け取りやすいように最大限工夫して渡すことです。
ケイパビリティ(能力基準)——観察力・洞察力・判断力

前述のポリシーに沿って適切な判断を重ねていくことは簡単なことではありません。心がければできる、というものではなく、訓練と研鑽が必要です。僕自身も鍛え続けなければいけない。だからこそ、それがどういう力なのかを言葉にしました。

観察力は、自分の視点からの視野の広さと解像度の深さと。ただしどこまで磨いても、それは自分の価値観と文脈を通した解釈だ、という限界を伴います。「客観的」視点も自分の価値観や文脈や常識から見ることから離れられていなければ、あくまで自分から見た自分はこう見えるということがわかるだけであり、観察力の視野の広さの話だと考えています。

洞察力は、関係する人たちの側からは物事がどう見えているかを知る力。もう少し詳しく言えばそれぞれの価値観や風習や文脈から生まれるそれぞれの解釈を理解する力のことです。これは単に自分の頭の中で想像するだけでは獲得できません。「自分からはこう見えているんだけど、あなたからはどう見えていますか」と聞ける対話力と、小さく試して結果から受け取る実験精神が主役です。そうやって得た材料を元に想像力を働かせることで初めて、自分とは異なるものの見方や感じ方をする人が目の前のことをどう見て、どう感じるかが洞察できるようになります。
対話といっても、相手は直接会話することだけがその方法なわけではありません。たとえば商品開発で、このリボンはつけたほうがいいのか、外したほうがいいのか。頭の中で考え続けるより、少しだけ仕入れて、売れるかどうかを見てみるほうが早い。これは間接的にお客さまと対話していることになり、結果的に洞察力を鍛えることになります。

判断力は、観察力と洞察力を駆使して目の前の物事を立体的かつありのままに見たことを元に、会社の目的・方針・理念・経緯に照らして判断を確定させる力。つまりはそれらをよく理解し、様々な状況に応用できる力のことです。一人ひとりが正しく知っても、バラバラな目的意識や倫理観で判断していては、会社として一貫した意思決定はできないからです。
プレゼンス(佇まい)——オーセンティック×チャーミング×サステナブル

ポリシーが前述した3つの能力(ケイパビリティ)で正しく運用されていけば、そこから生み出されるものは、プロダクトもサービスも組織も働く人も、結果としてこういう佇まいになっているはずだ、というのがプレゼンスです。
オーセンティック——理念に対する一貫性が、敬意を引き寄せる
チャーミング——節度ある親しみやすさが、好意を引き寄せる
サステナブル——堅牢性と持続可能性が、安心・信頼を引き寄せる
この三つは、順番につながってもいます。オーセンティックであれば敬意を持ってもらえるけれど、オーセンティックなだけだと、正直ちょっと近寄りがたさがある。だから、節度ある親しみやすさ、つまりチャーミングさが要る。そのうえで、堅牢で長く続けられる構えがあってはじめて、安心して信頼してもらえる。



ここでも「何ではないか」が大事です。オーセンティックは完璧なことではないし、ずっと同じでいる同一性のことでもない。チャーミングは媚びることでも過剰な演出でもない。サステナブルは我慢して続けることではありません。どんなに堅牢でも、10万円のスカートを作ってビジネスが立ち行かなくなるなら、それはサステナブルではないのです。
お客さまからも、お取引先さまからも、投資家のみなさまからも、そして社員のみんなが会社を見たときにも、敬意と好意を持ってもらいつつ、信頼してもらえる存在でありたい。その願いが、この三つの言葉に表れています。
おわりに——変わらないために、変わり続ける
創業からずっと変わらずにいたいと思ってきたものを、変わらずに保つためには、それを表す言葉のほうを、実態に合わせて更新し続ける必要がある。今回のアップデートは、そういう種類の変更です。ミッションは変わっていません。むしろミッションを変えないために、その周りの体系を手入れしました。
こうして21年目のクラシコムを、この意識のなかで経営していきたいと思います。これからも僕たちは、変わらないために、変わり続けます。




