2024.01.15

クラシコムの理念体系 ミッション・マニフェスト・ポリシー・フォーム

代表取締役社長 青木耕平
クラシコムの理念体系 ミッション・マニフェスト・ポリシー・フォーム

クラシコムの理念体系を初めて詳細に明文化しました。以下内容は社内のマネジメント向けに作成された「Kurashicom Management Playbook」を抜粋したものになります。

今までミッション、ビジョン、バリューの3つのカテゴリで説明してきた内容に加えて、新たに日々のステークホルダーとの対話の中で生まれる様々な判断機会の拠り所として、新たに「ポリシー」を加えました。

またこれまでビジョンと呼称してきたものを「マニフェスト」、バリューと呼称してきたものを「フォーム」と改めました。加えてフォーム(旧:バリュー)の表現も一部変更しています。その背景や意義については該当項目で説明しています。

目次

ミッションとマニフェストを正しく理解し活用する

マネジメントは会社としてのミッション、マニフェストに基づく経営の意志に沿うかたちで実行されるべきです。そのため自らのマネジメント活動が経営の意志から離れて独りよがりなものにならないように、経営の意志の礎となっているミッション、マニフェストを正しく理解した上ですり合わせを継続することが重要です。

また経営が具体的意志として示していないことでも、ミッション、マニフェストを土台にやるべき、やめるべきということを積極的に提言することで経営に気づきを与え、良いディスカッションパートナーの役割を果たすことにつながります。提言や議論が意味ある形で噛み合うためにもお互いの共通の土台であるミッション、マニフェストを正しく理解し、日頃から活用できる状態でありたいと思います。

ミッション(存在意義)

当社のミッションは「フィットする暮らし、つくろう。」という言葉で表現している通り、顧客が自分にフィットした居心地の良い人生をつくりあげることを支援し、その仕事を通じて経営者や従業員自身も「フィットした暮らし」をつくりあげ、喜びのある人生を送ることです。このミッションをより広範に、より効果的に果たしていくために事業を成長、成熟させることを創業から一貫して追求してきました。

「フィットする暮らし」とは「自分の人生を自分らしいと感じつつ満足できている状態」のことを指します。私たちはこの状態であることがwell beingな状態を実現する上で欠かせないファクターであると考えています。

私たちは「すべての人」の暮らしをフィットしたものにすることに直接的に貢献できるとは思っていません。人はそれぞれに異なる価値観や美意識、文化をもっており、どうありたいかは多様です。

ですから私たちは「私たち自身」と「私たちのような誰か」にとって圧倒的に「フィット」した選択肢を用意し、世の中に魅力的な選択肢を一つ増やすことで、社会全体の中で多様な「フィットする暮らし」づくりができる人を増やすことに貢献したいと考えています。

マニフェスト(経営方針)

ミッションを果たす上で事業と会社がどこを目指すべきか、私たちは「マニフェスト」としてクラシコムが「自由」「平和」「希望」を十分に獲得した状態を目指しています。

なぜならミッションを果たすためにやるべきことを実行し、やるべきでないことをやらないでいる「自由」がなければそもそもミッションを果たすことはおぼつかなくなります。

またその過程で無用な係争、内紛、競争に巻き込まれその対応に追われるという「平和」がない状態ではミッションに向かうスピードは減じられざるを得ません。

そして今日より明日が、今年より来年がもっと良い状況になるだろうと先に「希望」を抱いて仕事ができる状況を確保しなければ、ミッションを果たすまでの長い道のりを走り続けるモチベーションを維持することは困難です。

そのため、契約関係、資本関係、取引関係で他者の支配を受けず真っ直ぐにミッションに向かえる「自由」を、自らが望まない係争、内紛、競争に巻き込まれて消耗したり、歩みを遅らせたりしないための「平和」を、不確実性の高い状況の中でもミッションに向かって歩みを止めないための確かな裏付けのある「希望」をより多く獲得した状態を目指すことを経営方針としています。

これらの要素を会社が獲得し、その力を増していくことによって「ミッション」に向かってまっすぐ正しい構えで取り組み続け、その構えの精度を磨き上げることで高い成果を生み出す「正射必中」の経営を実現することを目指していきます。自由、平和、希望それぞれの詳細については以下の文章を参照してください。

関連記事:経営方針というものを初めて文章にしてみた

ポリシーで判断し、フォームで実践する

経営が責任を負うマニフェスト「自由・平和・希望」が一定程度実現している状況において、各スタッフがミッション、マニフェストに沿ってブレずに仕事を続けるための日々の判断指針が「ポリシー」であり、実践において最小のコストで最大の成果につながる「在り方」がフォームです。

ポリシー(判断指針)

ミッション、マニフェストを実現していく上で自分の責任分野において、社員や取引先、パートナー、お客様、投資家といったステークホルダーに向き合い、対話する過程において適切な判断をしていくための判断指針が「正直、公正、親切」です。そして優先順位も正直>公正>親切の順になります。

対話とは、当事者双方が変化する可能性を留保していることが前提のコミュニケーションであるべきです。自らの意思や行動の全てを変えないと決心して、相手を変化させることだけを目的にするコミュニケーションは説得や交渉です。

対話する、つまりは自分が変化する可能性を留保してコミュニケーションを続けるためには、逆説的ですが変えてはならない指針を持つ必要があります。

変えられない軸が明確だからこそ、変えられる可能性がある部分も判断をつけやすくなります。私たちはどのステークホルダーに対しても誠実でありたいと考えており、その部分については「変えたくない」と考えています。

この変えられない「誠実」という軸を日々の判断でブレさせないための指針がポリシーです。

正直

そもそも嘘はつかない、誤魔化さない、相手にとって都合が悪い話でも率直に伝えるという意味で正直に対応します。一方で正直と透明は異なります。どの情報を相手に開示すべきかは全体最適の観点から主体的に判断し、開示するものは正確に開示し、開示しないと判断したものは開示できないことを率直に伝えることが「正直」です。

公正

全てのステークホルダーにとって全体最適の観点から理にかなっているのが「公正」な状態です。言い換えれば「フェア」な状態と言えます。

まず大前提として、判断を下す責任者が「公正」の観点からでなく、「私心」「保身」の観点から判断し対応するのは論外です。また、全体最適の観点から判断するにしても、全てのステークホルダーは同じ利害を共有しているわけではないため、あるステークホルダーにとってメリットであることは、別のステークホルダーにとってはデメリットであるというようなことが普通だということを認識しておく必要があります。

全てのステークホルダーが同じ情報を共有していないため、全体最適の観点から「公正」な状態がどういう状態であるかは、その分野の責任者以上しか理解できていないという状況もしばしば発生します。このような難しい状況下でもマネジメントは責任分野の全体像が見えている者として「公正」さが維持される判断と行動を取る責任があります。

同時に自分も上長の管掌範囲の全体像を理解してないため、上長が「公正」の観点から判断していること、特にそのために、自らがデメリットを被るように感じるような判断に納得がいかないというようなことが起こり得ることも理解しておく必要があります。

親切

「正直」であり「公正」である範囲においては、相手の立場に配慮し、できる限り相手が受け入れやすいように「親切」に対応することは相手の協力を引き出し、判断された内容を円滑に実行に移していく上で重要です。

ただ「正直」さや「公正」さを犠牲にした「親切」は、相対していない異なるステークホルダーに不当な犠牲を強いることとなり、自らの責任範囲において持続的な成果を生み出すという目的にも反しているため、大きな過ちとなる可能性があります。

目の前にいる人に「親切」でありたいという思いと、今目の前にいない別のステークホルダーを含む会社や自らの責任範囲全体も含む観点双方を大切にして、どのように、どのくらい「親切」であるべきかを判断したいと思います。

*付記

「正直」「公正」「親切」を指針に判断していく上でもう一つ念頭に置くとすれば、「時間軸」の観点です。その瞬間瞬間で見ると、この3つが完璧な形にできることばかりではありません。ある一時期「親切」で保たせて「公正」を犠牲にして乗り切るしかない、「親切」にする余力や時間がない緊急時に多少の痛みが発生することを覚悟して「正直」「公正」を押し通すべき時もあります。

ただ中長期の時間軸では「正直」「公正」「親切」が良いバランスになるように判断するように心がけたいと思います。

フォーム(推奨される在り方)

フォームとはクラシコムで仕事をする上で、より質が高く大きな成果を最小のコストで上げることを実現するために、大きなアドバンテージとなり、それを体現することが推奨される在り方のことです。私たちはこれを「センシティブ、チャーミング、サステナブル」という言葉で表現しています。以下でそれぞれについて詳細に説明します。

ここで書かれていることを完璧にできていると感じる人は多くはないでしょう。しかしクラシコムで働くことが一定以上快適だと感じている人なら、周囲の仲間がこの中で触れられている振る舞いの型を体現したり、磨こうとしている様を見て心温まったり、身が引き締まったり、共感したりした経験が少なからずあるのではないでしょうか。まさにクラシコムという会社で働く喜びの源泉はここにあります。

もしかしたら、自身も意図せずして周囲の人にそう感じさせる瞬間を大なり小なりつくれているかもしれません。クラシコムの風土、カルチャー、居心地はそのようにして作り上げられており、これが私たちが長く価値のある事業を作り上げて成長することができた礎だと考えています。

時にフォームに表現されているような自分ではいられないタイミングもあり得るでしょう。しかしこのフォームが目指すべき価値のあるもので、そこに近づくことを希望していて、自身も周囲の人のフォームの体現に支えられて、喜びを受け取っているのだという認識では常に合意をしていたいと思います。

こんなことは意味がない、こんなことは不可能だ、というように心から思う人がいるなら、その人にとってクラシコムで働くことは苦痛でしかない可能性が高く、別の道を探した方がいいかもしれません。長い時間をかけてもここで語られるフォームを磨いていきたいと本心では感じているなら、共に磨き合い、支え合いながら、クラシコムの心地良くも生産的なカルチャーを共に醸成していきたいと思います。

経営はミッションにまっすぐ向きあい、自由、平和、希望の経営方針を堅持することで、フォームを磨き、発揮する事で成果が出せる環境をつくることに責任を負います。

センシティブ

センシティブとは危機、好機、変化、魅力など、外界が発するシグナルに「繊細」に気付いて、「知覚」できる在り方のことです。

「知覚」とは「観察」「分析」を的確に行い「これは何か」「今何が起きているか」「自分は今どういう状況に置かれているか」について的確に「解釈」することです。

ですからクラシコムのいう「センシティブ」とは「繊細」にシグナルに気づき、的確に「知覚」できる在り方と言えます。

そもそも「鈍感」でシグナルに気づけないと「知覚」するチャンスがなくなるため、シグナルが「小さい」うちに「早く」気付ける繊細さを持っていることは重要です。

しかし「センシティブ」は「ナイーブ」とは異なります。ナイーブとは「繊細で傷つきやすい」という意味です。多くの場合「ナイーブ」になるのは「繊細」に気づいた「シグナル」を過大評価したり偏って解釈したりするからです。つまり的確に「知覚」できていないことが一つの原因です。

しかし、ナイーブさは少なくとも鈍感さに比べれば、真にセンシティブになれるポテンシャルは秘めています。もしかすると、全ての真にセンシティブな人は、元々はナイーブさを抱えた人だったのかもしれません。

「鈍感で傷つきにくい」と「繊細で傷つきやすい」の他に、「繊細で健やか」というあり方も存在しています。これは「繊細」ではあるものの、状況を過不足なく把握できるので、必要以上に不安になったり心配したりせず、小さなシグナルをキャッチする「繊細さ」を持ちながら「健やか」であることができている状態です。

私たちはナイーブであろうとはしていません。決して簡単なことではありませんが「センシティブ」というフォームを個人としても会社としても磨き続けていきたいですし、仲間がこの資質を磨き、発揮している際には心から賞賛したいと考えています。

またセンシティブに状況を把握できることは、多くの選択肢に気づきやすくなることでもあり、自らの「自由」を守るという経営方針を促進することでもあります。

チャーミング

チャーミングとは仲間やステークホルダー、時に社会から見て「敬意」と「好意」の双方を感じさせて「親しみやすく自立した存在」となることを目指す在り方のことです。

「好意」なき「敬意」は相手の中に「畏れ」と「警戒」を産みます。一方で、「敬意」なき「好意」は、相手の中に「侮り」と「甘え」を産みます。どちらも私たちが望まないものです。

私たちはステークホルダーや社会と「親しみやすく自立した存在」として関わることを望んでいます。なぜなら、その在り方こそが望まない競争、闘争、紛争から距離を置くという経営方針の「平和」を実現する上で欠かせないからです。

また「親しみやすく自立した存在」が集まった組織は、「内紛」も起こりづらいという意味で「平和」になります。「平和」な組織が争いの多い組織よりもより生産的であることは、議論を待たないことでしょう。

「親しみやすく自立した存在」であることによって、多くの人の協力が得やすくなり、内外のコンフリクトが極小になるため仕事の効率は上がります。さらに、ステークホルダーや社会から経営リソースをより優位な条件で調達できるので、事業の成長が相対的に容易となり、運営していくためのコスト効率が良くなるため、相対的に利益率は高くなります。

また投資家から「敬意」と「好意」を同時に勝ち得ることができれば、同じ売上、利益を上げる他の会社よりも多くの人から株を買いたいと思われるようになり、需給が逼迫してPERが高くなり、結果、時価総額が相対的に大きくなりやすくなります。

このようにミッションを力強く前に進めていくために、とても具体的で大きな力を持っているのがこのチャーミングというフォームなのです。

では「敬意」と「好意」を獲得でき、「親しみやすく自立した存在」であれる「チャーミング」というフォームはどのような要素から成り立っているのでしょうか?

私たちは、前述した「センシティブ」を備えた人が以下の4つの要素を併せ持つことによって「チャーミング」が成立すると考えています。

1)慎慮
2)正義
3)勇敢
4)節制

クラシコムでは常にこの4つの要素を磨き、体現することが推奨され、賞賛されます。

1)慎慮とは

慎慮の反対語は「浅慮」です。ですから慎慮とは深く、広い視野で、抜かりなく考えていることを意味しています。

確かに考えが「浅い」と「敬意」をかち得るのは難しいですし、「好意」の源泉である「興味深さ」も与えられないため、それを得るのも難しくなります。

ここでいう「慎慮」とは単に知識量が多い、頭の回転が早いということでなく、より広い視野から状況判断し、抜かりなく考えていることを意味しています。

逆に視野が狭く、狭量で、独りよがりな主観からしかものを見ておらず、見たものをよく考えもせずに先入観や思い込みで判断しているとしたら、どれほど知識があり、どれほど処理能力が高くても「チャーミング」であることは難しいでしょう。

2)正義とは

正義とは、道徳的、倫理的に見て「正しい」ことを好み、可能な限りそう振る舞いたいと望む性質のことです。また前述の判断指針の一つ「公正」を支持することでもあります。

このような人は道徳と倫理を尊重し、正直で約束を守ります。また「私心」「保身」のような動機から「公正」に反する振る舞いをするくらいであれば、多少損しても正義、公正の側に立ちたいと考えます。正義という性質を持つ人にとってはその方が葛藤が少なく心地よいのです。

そのような人は他者に悪意を向けず、陥れる、騙す、足を引っ張る、傷つけることを望みません。

そのため周囲から「信頼」され「敬意」をかち得ることができます。またあり方に荒んだところが無く安心できることから「好意」をも同時に感じてもらうことができます。

3)勇敢とは

勇敢さとは、困難や危険を認識しつつも希望を持って行動する意志の表現です。

「センシティブ」にリスクを察知し、「慎慮」によって十分な予測と評価が行われ、それでもなお「希望」に向かって行動する様はまさに「勇敢」と言えます。

一方で「鈍感」でリスクに気づかないから、または「浅慮」でリスクを過小評価しているから行動している場合には、「勇敢」ではなく「蛮勇」「無謀」です。

真の勇敢さは、真の恐れから生まれます。目先の困難や危険に怯んで行動しないことが、私たちにとって真に大事な「希望」を損なうことを正しく「知覚」し、それを心から恐れることこそが「勇敢」さを産みます。「繊細」さを持つ人が、困難や危機を正しく認識しつつも「勇敢」に行動する姿は、それを見る人の胸を打ち「敬意」と「好意」の双方を感じさせます。

4)節制とは

節制とは節度を守ろうとする姿勢のことです。

節制できる人は礼儀正しく、適度な自制心を持って、度を超えた感情表現、極端で突発的な行動、その場にいる多くの人の気分を害するような振る舞いを避けます。

周囲から賞賛されて調子に乗りすぎたり、逆に批判されて落ち込みすぎたり、強い憎しみを抱いたりしないようにするなど、感情のボラティリティが度を超えないように自制することも節制の一部です。

プライベートに立ち入りすぎたり、セクハラまがいの冗談を投げかけたり、そこに居ない人の噂話をしたり、自分より年次も浅く経験の少ない後輩や、自らがマネジメントやリーダーとして責任を持つスタッフの前であけすけに愚痴を言ったりといったことも、注意をしていないとうっかり節度を踏み越えてしまうことに繋がりますから、節制が必要な分野でしょう。

節制できる人は信用し過ぎたり疑り深過ぎたりせず、浪費しすぎることも吝嗇にすぎることもなく何事も「中庸」なスタンスを保つことができます。

このように、「節制」し「節度」を保つことで、信頼され「敬意」をかち得ることができます。また仲間やステークホルダーや社会から見て予測可能性が高くなり、それゆえ安心感のある存在、心地よい存在になり「好意」を得易くなります。

時に極端に見える振る舞いをしても「敬意」と「好意」を勝ち得ている人がいますが、大抵センシティブに状況を知覚して、慎慮によって「ギリギリ」を見極めた「節度」の範囲で強力に「節制」することで成立していることが多いのではないでしょうか。

ただ、そのように「ギリギリ」を攻める振る舞いは成功すれば輝かしい魅力になりますが、リスクも高くなります。

私たちは、この節制に限らずチャーミングであることが普遍的に「正しい」と考えているわけではありません。しかしクラシコムでは、たとえいつも実践できないとしても、できたらこのようでありたいと考えている人と共に働きたいと考えていますし、節制よりも放縦を、慎みよりも派手に振る舞うことを望む人よりは、慎み深く、節度のあるあり方を望む人を必要としています。

サステナブル

サステナブルとは、ミッションに向かい続ける活動を、一過性の打ち上げ花火のようにではなく、コツコツと継続し「一貫性」と「継続性」を持ったものにする資質です。

どんなに素晴らしい取り組みも、長期にわたって「一貫性」と「継続性」を担保することは極めて困難で、ただ同じことを同じように続けているだけでは不可能です。

逆説的ではありますが、「一貫性」と「継続性」は「希望」を強く持ちつづけ、「勇敢」にチャレンジし「変化」を恐れない態度が礎となっています。そのため「一貫性」と「継続性」を追求することは「イノベーション」が起こり易くなることに繋がり、社会の中で「オルタナティブ」な存在になることも厭わないことにつながります。

もともと私たちはこのフォームを「オルタナティブ」と表現していましたが、それはあくまでも「一貫性」と「継続性」を追求した「結果」であり、私たちが目指し磨いていきたいのは「一貫性」と「継続性」であることに気付きました。それであれば「サステナブル」と表現することの方がより真実に近いと考え、2023年11月に変更を加えました。

クラシコムでは新規性や差別化より、常に「一貫性」と「継続性」を磨くこと、発揮することが賞賛されます。それが正しく磨かれれば結果的に「イノベーション」が起こり「オルタナティブ」な選択肢を多く生み出すことになると考えています。

※ この理念体系を社員に共有した際のレポートはこちら