16年目のVIリニューアルからつなぐ、これからの“日本の暮らしビジネス”が向かうべき先とは。デザイナー 原研哉×クラシコム 青木耕平 対談

書き手 長谷川 賢人
写真 吉田 周平
16年目のVIリニューアルからつなぐ、これからの“日本の暮らしビジネス”が向かうべき先とは。デザイナー 原研哉×クラシコム 青木耕平 対談
株式会社クラシコムは2022年2月24日より、ロゴをはじめとしたVI(ヴィジュアル・アイデンティ)をリニューアルしました。代表青木はその意図を、下記のようにご案内しています。

これからますます多様なステークホルダーと関係を広げながら成長していく上で、クラシコムという会社はどんな人たちが往来してもブレない清らかさを持ち続けていたいというのが私たちの願い。その上でお祭りや縁日などで多様な人が行き交ってもその神聖さが揺るがない「神社」のような場であれるための、「鳥居」や清めの「塩」のようなものが欲しいというのが私たちからのオーダーでした。

それをロゴマーク(鳥居)オリジナルフォント(塩)という形で打ち返してくださり、このロゴマークとフォントを持って場を作ればこれからより多様で複雑なものを内包しながら成長するクラシコムもきっと清らかな存在でい続けられる、そんな自信をいただけたような気がしています。──株式会社クラシコム 代表取締役 青木耕平

クラシコムの新しいロゴマーク



今回のデザインを担当してくださったのは、日本デザインセンターの原研哉さんです。2002年から務める無印良品のアートディレクターをはじめ、松屋銀座、森ビル、蔦屋書店、GINZA SIX、MIKIMOTO、ヤマト運輸のVIデザインなど、原さんのデザインは日常のさまざまな接点に施されてきました。

クラシコムが創業したのは、原さんが無印良品のアートディレクターとして参画されてから4年後の2006年。原さんが手掛ける数々のデザインは、クラシコムが「フィットする暮らし、つくろう」というミッションに向かって挑戦を続けるなかで、多くの人々にとって「自分らしい暮らし」を形作る上で欠かせない存在となっていることを感じてきました。

今や「暮らし」という言葉や概念はとても身近になり、一人ひとりが自然とそれを求めるように、ライフスタイルが変わりつつあります。そんな中、さらに原さんは「住まい」の有り様を考える展示会「HOUSE VISION」や、自身の眼を通じて日本各地の魅力を紹介するウェブサイト「低空飛行」といった取り組みで、その先に続く道を私たちに提示してくれてもいます。

クラシコムのVIリニューアルについて、原さんはどのように受け止め、形にしてくださったのでしょうか。そして、日本人の暮らしを見つめてきた原さんに聞く、クラシコムが今後の「暮らしとビジネス」を考えるための観点とは何か。時に歴史を紐解きながら、探ります。

いかにインターネットの中に「漁礁」を作り出せるか

青木
最初に、VIのご相談をさせていただいた時の感想から伺わせてください。僕らにどういった印象を抱かれたのか、どういうものを求めていると感じられたのか……正直なところ、お願いが「ふわっとしている」というか、抽象的だった部分もあるかとは思うのですが。


名前こそ「北欧、暮らしの道具店」と付いているけれど、北欧に限らず、暮らし全般へ裾野を広げられていて、いったいどこを目指している会社なのかはつかめない……そんなフォーカスの甘さが、むしろ特徴的な要素となっていました。ウェブサイトを覗いてみたら、いろいろな方の毎朝の様子を載せている動画の企画が目に留まったんです。

青木
モーニングルーティン『わたしの朝習慣』」ですね。


それがとても面白かった。モーニングルーティンの動画は、毎朝の自分の様子を人に説明したくなるようなモチベーションを「差し出す側」へ与え、そこにさりげなく、見ている人が使いたくなるような道具が挿入されているというメカニズムに感心しました。

今は、どこの企業も、どこのお店も「情報発信」や「商品開発」は熱心にされていますけれども、むしろ主眼はコミュニケーションにこそある。その点でクラシコムは、インターネットを用いていろいろな人を引き込んでくる、言うならばネット社会における「コミュニケーションとは何か」という大切な観点がわかっている会社なのだろう、と強烈に感じました。

その会社からVIを頼まれるのは名誉なことではあるけれども、「商品を売る」といった目的やフォーカスの明瞭なアイデンティティを求められているわけではないのだろう、とも思いました。だからこそ、アウトラインがはっきりしたフォルムを提案するのではなく、さまざまな方々が「引っかかってくれるような依り代」をいかに作れるかを、考えたわけです。

青木
そのように幅広くご検討いただけたのは、僕らとしても嬉しい驚きでした。というのも、自分たちでも「はじめまして」の方にクラシコムという会社を説明する難しさを感じていますし、説明しても1年や2年で力点がすぐ変わっていってしまうところがあるせいで、自分で自分を定義づけたり、名付けしたりすることができないままなんです。

だからこそ、クラシコムという存在を非言語的に理解してくださり、雰囲気からつかんでもらいたいという気持ちを持っていたので、なおのこと嬉しい受け止め方です。「引っかかってくれるような依り代」というお考えに近いことも、原さんが無印良品のトークイベントやご著書などでも触れていて、僕としても深く共感していることの一つでした。


その依り代は、何にもない海底に魚が集まる岩礁を作るようなものともいえます。ただ水がきれいなだけのところよりも、ハプニングでたとえば古びた自転車のようなものが沈んできたほうが、魚が居着くようになるといったイメージです。つまり、いかにネットの中に漁礁を作り出せるかが、コミュニケーションのポイントなわけですよね。

そのための「引っかかり」をVIに求めているのであれば、僕としてはアイデアをたくさん出すしかありません。実は、僕がデザインする際のプロセスとしては、収まりがつくであろう予見がはっきりある時は、それほど数多くのアイデアは出さないのです。中心となる一案が定まっていて、それを説明する補強案をいくつか持っていく。

クラシコムの仕事では、僕らが考えている以上にネットのリテラシーを持たれている方々が、どんなものを選ぶかがつかめなかった。だからこそ、数多くの球を投げてみるしかなかったんですね。

青木
とてもありがたい限りです。使い古された言葉を引きますが、レイモンド・チャンドラーの小説で有名な一節に「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」とあります。ある意味、クラシコムの「優しさ」は提供しているサービスが担保していますが、それを支えるソリッドな「強さ」を表現できるクリエイションが必要だと感じていたんです。

ただ、「必要だ」という感覚はありながらも、それを具体化できずにいまして(笑)。だからこそ、僕らとしても原さんへ、まさに「投げかける」気持ちでお願いしたのでした。

VIは「巨大な容器」として、想いを受け止める


今回のロゴマークは最初は、シンボルになるようながっちりしたフォルムではなく、リズムみたいなものから考えたんです。たとえば、円弧のようなラインが3つ並んでいる。言葉にするなら「ふうっ、ふうっ、ふうっ」という感じ。そのリズムで、毎日を生きていくテンポを表せるのではないかと。

この世のあまねくものは形ではなく、リズムで出来ていると思うんです。人間なら呼吸、脈動、まばたき、腸の蠕動運動、DNAの塩基配列を読む運動まで、あらゆるものがリズムで成り立っている。大きくは天体の運行まで。個々人の生活ももちろんリズムです。暮らしに関わる会社であれば、ロゴマークとしてリズムを描くのはどうだろうと。

提案されたさまざまな新ロゴマーク案

青木
なるほど。僕らとしては、最終的に選んだのは四角く黒いフォルムで、それはコップのようにも、何かの容器のようにも、鍵穴のようにも見える……どちらかといえば、がっちりした印象のものになってしまいました(笑)。


いや、僕としては、そこまで象徴的に極めていくことに対して、ある種の感動を持ちましたね。それは僕がVIリニューアルに際して寄せた言葉にもありますが、クラシコムは「日の丸」のようなものを手に入れたわけです。デザイナーとしては「日の丸」なんて提案するのも怖いくらいのデザインなんです。ただの赤い丸が置かれているだけですから(笑)。

青木
確かに!


ただ、日本という国が、いち早く「日の丸」を国旗として手にしたのは大きな財産だと思います。国旗は役割からいっても、無数の人々のイメージを受け止められる「巨大な容器」が理想です。だから、各国は国旗の形やシンボルにたいへん悩んだはずです。クラシコムは新VIで、ほんとうにたくさん想いが入りそうなものを選ばれたんだな、と思いました。

ステーショナリーや企業サイトなど新VIシステムの展開(詳細資料

青木
良い意味で、あまり西洋的でもなく、かといって民芸的な日本らしさでもない。得体は知れないけれど、どこかきれいな感じがする。それが、自分たちがそうありたい「クラシコムらしさ」を表しているようでした。

社員からも「最初こそ驚いたけれど、確かにクラシコムらしい」といったリアクションがとても多かったんです。自分たちでもうまく言葉にならない依り代に、このロゴマークが今後もなっていってくれることが本当に楽しみです。

新ロゴマークが印刷されたステーショナリーと名刺


そうですね。社員の方々がその感想を共有してくださるのは、とても大きな手応えです。やはりマークとは、マークそのものが強いわけではなく、それに触れる人たちが上手に扱ってくださることで育っていきます。そういう意味でも、うまくいったと言えるのだと思います。

オリジナルフォントは水となって、清浄な空気をつくる

青木
ロゴマークに加えて、今回はフォントも追加でご制作いただきました。最初は既存フォントを整えて添えてくださったものだったと思いますが、それを見たときに文字の置き方のバランスなども相まって、素晴らしく映ったんです。もし、これが「自分たちのオリジナルフォントです」と言えたら、新しいロゴマークを含めてもっと愛せるものになるはず、と直観的に感じました。

このVIとフォントが、サイトのテキスト、プレゼン資料のスライド、あるいは封筒や名刺にも共通することで、自分たちのテイストをご理解いただくための「自己紹介ツール」になるのではないか、と。


最初に作ったのはロゴタイプ(KURASHICOMという文字のみ)なんです。ロゴタイプとフォントは、文字という意味では似ているけれども、組成が全く違います。

KURASHICOMのロゴタイプ

ロゴタイプでは、運命的に出会った一個ずつの文字配列を考えます。“KURASHICOM”というKで始まり、Mで終わる運命ですね。一方で、フォントは「読みやすさ」や「使いやすさ」も含め、無限ともいえる文字の組み合わせを考慮した文字のデザインです。

そもそものロゴタイプは、クラシコムはウェブサイトが基幹でもありますから、クラシックになりすぎてはいけない。しかし、デザインしすぎるのも違うので、オーセンティックな要素は欲しい。そこで細部のディティールは現代的に……といっても、「R」の頭の大きさや足の角度がその字の性格を決めてしまう、というほどの微妙な加減です。

それらを細かく見ながら中庸的なバランスを取ったことで、VI同様かなり個性を削ぎ落としたロゴタイプができたと、初めは思いました。ただ、それを「フォントにしたい」と依頼されたときには、やはり躊躇があったんです。

青木
先ほどおっしゃったように、ロゴタイプとフォントは全く異なるものだからですね。


しかしそう言われて、気がついたんです。クラシコムはウェブサイトを基幹とする会社であり、その会社にとってのフォントとは「水みたいなもの」ではないかと。現在はウェブ環境で表示させるオリジナルフォントも実用的になってきましたからね。

サイト内のあらゆる場所へ、このフォントで見出し文字なども作って置かれるならば、ユーザーやお客様がクラシコムの環境にパッと入ってきた瞬間に、何かしら「水の良い環境」に入ってきたという雰囲気を感じるかもしれない。つまり、フォントによって、清浄な空気の環境を作るようなアイデンティフィケーションができるかもしれないな、と思ったんです。

クラシコムという建物に入ったときの、ふわっとした空気というか……それを、フォントで表現できるだろうと。実際に字間をやや空けた見出しを組んでみると、すすっと体に入ってきた。空気を作るためのものとしては、うまくいったんじゃないかと感じています。

クラシコムオリジナルフォント(詳細資料

青木
本当にそうですね。まさにご依頼時にVIを「クラシコムにとっての神社のような場にしたい」とお話もさせていただきましたが、神社の神域に入ったときに、ふわっと気持ちがよくなるような……あの雰囲気は、参道の脇を流れる水など、あらゆる要素から生まれていると思います。まさにこのフォントはそれを担ってくれて、使いこなしていくのが楽しみです。

これまでの「日本の暮らし」、これからの「日本の暮らし」

青木
今日は、原さんとせっかくお話できる機会ですから、聞いてみたいことがあったんです。クラシコムは「暮らし」をビジネスの主軸にした会社です。原さんがアドバイザリーを務める無印良品を始めとしたプロダクトやプロジェクトは、私たちが自然に選んできた「暮らし」においても欠かせない存在となっています。

原さんの目から見て、この30年ほどにおける「日本の暮らし」には、どういった変化が起き、今どういうふうに映っているのか。ぜひ、ビジネスの観点も含めて伺わせてください。


無印良品は1980年に生まれましたが、当時の東京は「大量」「ゴージャス」が大手を振って歩いていました。その状況下では「簡素」や「質素」といった、すべての虚飾を取り去ったものを出すことが、とても新鮮だったわけです。ところが、今はどちらかというと、みんなが簡素・シンプルになってしまって、あとは価格競争が待つばかりだと。

その上で、どこへ価値を見い出していくかを常に考えなければいけないので簡単ではありません。僕は日本主義者では決してありませんが、海外で仕事をすることが多いこともあって、こんなふうに思います。

そろそろ、日本は「日本」を資源としてもいいのではないか、と。

青木
それはつまり、文化であるとか、国土の自然であるとか……。


日本の国土は厳しいものです。台風も来る、地震もひっきりなし、火山もいつ噴火するかわからない。一方で、強烈な自然の恵みもあるわけです。世界のどこへ行っても、日本ほど植生が豊かなところはそうそうなく、デリケートな春夏秋冬のもとに細やかな季節の変化に富んでもいる。「津々浦々」と言いますが、ひとつとして同じ湾や同じ浜もなく、みんな少しずつ違う。

そこで千数百年、幸いにもずっと一つの国として続いてきました。蓄積されている無数の暮らしの知恵……それは「文化」と大げさに呼ばずともいいでしょう。もちろん、京都にあるものだけが文化ではありません。日本各地の人々がずっと大切に守ってきた知恵も含めて、大変なものを有しているのです。これも大切な「資源」ですね。

日本の“国際デビュー”を明治維新と見るならば、グローバルを意識し始めて150年です。先の75年は「富国強兵」を旗印に、西洋文明へ追いつこうと大慌てに近代化を進めた。そこでは、東北の田舎のおばあちゃんの知恵なんて考える余地もなかった。それらを全部質屋に放り込むように始末して、西洋化に舵を切ったわけですよ。

青木
あぁ、確かに。


富国強兵に懸命に勤めた結果、西洋列強に肩を並べられるかのような力も身につけたけれども、それに奢った結果として、第二次世界大戦で都市の大半を焼き尽くされました。そして、東京が焼け野原になった後の75年で、今度は「工業立国」を果たしたんですね。

青木
またも田舎のおばあちゃんの知恵ではなく、工業化の道に邁進したと。


原料はないから石油も鉄鉱石も輸入し、ひたすら護岸にコンクリートで工場やコンビナートを造った。確かに75年のうちの前半は規格化や大量生産が性に合っていて、大きく成功しました。エレクトロニクスとハードウェアを上手に合体させて小さく精密なものを作れることで、世界をリードできる時代にも乗れた。

ただ、コンピュータやITに関しては、世界が着々と準備している傍らで、日本は自分たちの成功物語に酔いしれたまま変化や進化をやり過ごしてしまった。つまり、75年のうちの後半で波に乗れなかったわけですが……。

青木
富国強兵、工業立国という75年ずつを過ごし、次の時代が始まるところが今なんですね。


世界を見渡すと、ベルギーにしろフランスにしろ、ヨーロッパの国々は、何もテックの先端にいなくとも、それぞれに豊かですよね。日本はユーラシア大陸の外れで、ユニークな文化を持つ国の一つです。何も、ITの先端にいつも躍り出ていなくたっていいのではないかと(笑)。

青木
言われてみると、確かに(笑)。


だからこそ、自分たちの「住まい方」を改めて見直していくことから始めればいいのだと思うんです。それこそ、暮らしの豊かさは金銭的な多寡ではないところに見出されるものだと、多くの人がわかりはじめてきてもいるはずです。「庭に毎年、夏みかんが生る木がある」というのが素敵だったり、キャンプで火を扱うのが得意で楽しかったり。

日本が持つ自然の恵みと交感しながら生きていく。そこに実は世界のどこにもない価値の塊があるのだと気がついていく。それこそが重要ではないかな、と思います。

青木
まさに「低空飛行」というメディアにご自身で取り組まれているのも、その視点の延長線上にあるのではないか、と感じました。


はい。僕は今、産業としては新しい次元の「観光」に興味があるんです。それはもちろん富裕層だけを対象とするような産業ではありません。誰もが安いコストで旅ができ、日本の津々浦々を訪ねていけることで、出会いや充実感を交感できたらいいのではないか、と考えているのです。

「ラグジュアリーとは何か」から有り様を再定義する

青木
原さんが以前にインタビュー記事で「ラグジュアリーという言葉にはバチ当たりみたいな感覚があり、毛嫌いされることもある。しかし、付加価値をしっかり用意し、高い対価を受け取っていくのが正当な産業のあり方」とおっしゃっていたのが印象でした。

言わば、暮らしとラグジュアリーの再定義をしなければならないという考えではないか、と僕には思えたのです。実は、この観点は僕らも問い直しているところなんです。


「ラグジュアリーとは何か」を考えると、王を頂点とする権威の表象としてのラグジュアリーと、植民地文化のラグジュアリーがあると考えています。

前者は、ホモ・サピエンスの長い歴史で醸成されてきた一つの価値だといえます。人々が安寧を持って暮らすために、最初は戦や知略に長けたスーパーマンが王となってきたのかもしれませんが、その王位が子孫に移っていくと、必ずしも強さは必要とされません。暗君でも、幼君でも、裸の王様でもよいのですが(笑)、王とは強さではなく「記号」になっていくわけです。

そして、記号としての王を、権威たらしめる力の周辺に文化は生まれてきました。豪奢な建物や調度など、それにオーソリティを感じ、みんなが憧れ、思わず「うひゃあ!」とひれ伏すような「オーラ」を中心にいただきつつ、庶民は平安や幸せを感じてもきた。言わばその「うひゃあ!」のおすそ分け、あるいは破片を手にしたときに、嬉しさを覚えたわけです。

青木
なるほど。王様が「褒美を取らせる」なんて言って、財宝を分けたときなんかに。


そうそう。そういうオーソリティへの信頼が根強くある。ただ、ヨーロッパは市民革命で王をいち早く断頭台にかけ、市民を主役に据えた社会を作りました。けれども、クラシシズム(Classicism・古典主義)への志向はしっかり残っていて、グロリアスな輝きへのあこがれが文化の底にはあるわけです。その輝きの周辺に、ラグジュアリーは価値として温存され続けてきた感じを受けます。

もちろん西洋は近代を発明したわけですから、人間の叡智と呼ぶべきものを合理的に作り出し、価値を生んでいくこともやってきました。ヨーロッパの近代建築は、その意味ではとてもインテリジェントです。建築を自然の中へ持ち出していく際には、その持ち出す手際に驚かされることも多々あります。

話を戻すと、ヨーロッパのクラシシズムに内在しているラグジュアリーというものがあるということです。

しかし、一方で、やや文化的な歪みをともなうのが植民地文化のラグジュアリーです。たとえば、植民地で西洋人が行ったのは、その国ごとにある文化の素養をスタンダードとは扱わず、自国の文化を基軸に据えたうえで、その地域の文化の素養を“エッセンス”として入れ込むやり方です。そうすることで、西洋人にとっては体験したことのない魅力的なものができてくる。

青木
自国の文化をベースに、インドネシアやスリランカ“風”を取り入れると、エキゾチックな魅力になる、みたいに。


その通りです。ホテル一つとっても、現地人をサーバントとして教育し、真っ白な制服を着せる。自分たちの文化を驚くべき異界の地に再現したうえで、自国から連れてきたシェフに現地の食材も交えた食事をつくらせて、自国から取り寄せたワインを注がせて、贅沢を味わう。時々、映画に出てくるまさに神をも恐れぬ贅沢ですよ(笑)。

こちらのラグジュアリーは、ヨーロッパのオーソリティが作ったラグジュアリーとは違います。そして、現地の人たちに影響を及ぼしてしまいます。つまり、現地の人は自分たちの文化のエッセンスとしての使い方を覚え、世界への差し出し方を体得してしまったことで、ゆがんだラグジュアリーの系譜が連綿と続いていくことになる。

青木
あぁ、そちらのラグジュアリーに考え方やスタイルが引っ張られてしまうと……。

自然の恵みに、日本のラグジュアリーは浮かび上がる


では、日本はどうか。僕は、日本文化を軽々にエッセンスとして差し出してはいけないと、やはり思います。そこで「日本のラグジュアリーは何か」を考えていくことが、今の自分の課題でもあるんですね。

青木
そこで原さんは、日本の自然というものに一つの活路を見ているわけですね。


たとえば、「低空飛行」で紀伊半島へ行ったときのことです。紀伊半島は日本の神道や山岳信仰が生まれたとされる場所ですが、大規模なカルデラ爆発で巨大な火成岩が露出し、その痕跡が至るところにあります。古来の日本人はそういった荒ぶる自然を目の前に、霊性を感じたのだと思います。

人間の知性が荒ぶる野生としての自然をコントロールするのではなく、日本人は最初から自然に対してのある種の諦観を持っていたわけです。これはかなわないと。ミース・ファン・デル・ローエが外界と内側をガラスで完璧に遮断し、鉄とガラスで超高層建築を作ったことは素晴らしいけれども、そしてそれに異を唱えるつもりもありませんが、光が差し、風が入り、水がきれいであることに、心地よさを覚える文化を日本では千数百年続けてきました。この感覚は「資産」です。つまり、自然に畏れを感じ、そこと融通していくことに豊かさを感じる感受性が日本のラグジュアリーの資源だと思うのです。

青木
先ほどのお話からすると、日本では自然や、そこにいる神みたいなものからの恵み、言い換えると「褒美」にこそ、ラグジュアリー足り得るものを感じられる価値観があると。


時々、地方の茅葺き屋根の旅館が、アプローチから見えるところに切ったニンジンなどを柵にかけて干していたりしますが、そういうのを見ると自然の贈与の受け取り方がわかっているなあと感心します。自然の恵みをいただく知恵を持っていることそのものが素晴らしいわけです。

建物は、モダンな空間でもよいのです。ただ、それが自然の恵みを受け入れる装置になっている。そこに、「日本のラグジュアリー」が潜んでいるのではないかと思います。

青木
原さんがおっしゃったようなラグジュアリーをコンセプトとして固められると、権威を大衆化したラグジュアリーでも、植民地的なラグジュアリーでもなく、本当の意味で市民的な……たとえるなら、「共和国のラグジュアリー」が作れるのかもしれないと感じましたね。


僕も日本のラグジュアリーに対しての明快な答えは持っていないのですが、やはり「自然への畏れの心」が唯一、根本的に他の文化とは違うものでしょう。「畏れ」とは、自分で工夫して作り出すのではなく、知らないうちに何かが満ちていた、といったことです。

「クラシコムのような何か」が派生して生まれる

青木
僕らもインターネットの中で、はたしてラグジュアリーを表現できるのかはわからないですけれど、トライしてみたいテーマだと改めて思いました。そして、必ずしも不可能ではないはずだとも。

もっとも、「インターネットの中で」というより、原さんがご著書の『デザインのデザイン』で表していたように、ユーザーが頭の中にそれを作り上げるというのが正確なのだろうとは感じます。ただ、そういうことが実現できたらとは思いました。

今日だけでもいろいろな示唆をいただきましたが、ぜひ最後に原さんから見て、今後のクラシコムに期待することがあれば伺わせてください。


そういう意味では、青木さんがクラシコムを「温泉地の開発」と表現したのは、僕にとって腑に落ちる説明だったわけです。掘ったら温泉が湧いたから、宿屋も建て、列車も通して、土産物屋もこしらえて、そのうちに街ができていく。砂漠に英知を持ち込んで都市プランニングするのではなく、「たまたまそこに湧き出した温泉」から派生していくような開発です。

独自の世界観=温泉として描いた「北欧、暮らしの道具店」のイメージ図。
(詳細:クラシコムの事業紹介

青木
ええ、まさにそうですね。「知らないうちに何かが満ちていた」在り方だと思います。


そういう点がクラシコムのすばらしいところだと思います。そこにある、きれいな景色をかすめ取るようなホテルではなく、そこにすばらしい自然があったのだということをわからせてくれるようなホテルが出来ていくと、すてきだと思うんです。

クラシコムが何かを作るというよりも、クラシコムが活動しているうちに、ある種の「暮らしの楽しさ」のようなものが勝手に起動して始まってしまい、色々な人々がそこに巻き込まれていくようなことが起きていくのではないか、という気がしますね。

青木
うれしいです。おっしゃるように、さまざまな縁を得て、巻き込まれながら、僕らもどんどん手掛けていることが変わってきていています。ドラマを作り始めたのも、他者から「作ってみたら」と勧められたことがきっかけで、自分たちとしては思ってもみず、どうなるかもわからないけれど手を動かし始めたのでした。


でも、確かにテレビコマーシャルを作るよりも、ドラマを作ったほうが思いは浸透しますよね。そのあたりの発想の切り替えが、僕は面白いと思いました。

青木
ありがとうございます。


これから、あらゆることが起きていくのではないですか。おそらく、お客さんのほうがクラシコムを引っ張っていくのでしょう。温泉地の開発でたとえれば、敷いた覚えのない鉄道が出来ていたり、知らないうちにケーブルカーが通っていたり……。

青木
そうですね!(笑)


それを「いや、僕らの仕業ではなくて、勝手にできてしまったんだ」と、いかにきちんと言えるか。そこをあらかじめ仕込んでしまっているところがすごい。

青木
そういう僕らになるためにも、今回作っていただいたVIがいろんな人の関わる依り代になってくれるはずです。クラシコムを固定的な対象ではなく、相手の見立てによって、いかようにでも使える相手といったふうに捉えていただける、大きな助けになりそうです。

プレスリリース:クラシコムVIリニューアル