2017.04.20

自由、平和、希望を追求することは継続的にイノベーションを起こし続けることだった。

代表取締役社長 青木耕平
自由、平和、希望を追求することは継続的にイノベーションを起こし続けることだった。

僕らの会社の実現したいことを創業以来

「フィットする暮らし、つくろう」という言葉で表してきた。

詳しくはココを読んで欲しいのだが、簡単に言えば、多様でそれぞれが自分が気持ちいいと思う暮らし方ができる世の中になるといいよね、ということである。

「豊かな」暮らしとか「丁寧な」とか「しあわせな」とかにせず「フィットする」としたのは、「豊かな」「丁寧な」「しあわせな」は全て概念だが、各々が自分の暮らしを「フィットしている」と感じるかどうかは「生理」に近いと考えたからだ。

僕としてはビジネスを通して、ちょーささやかにではあるが、我々のお客様が「フィットする暮らし」をつくるお手伝いがしたいと思っているし、従業員や出資先、お取引先の人たちが僕らと関わることで少しでも「フィットする暮らし」を作りやすくなるといいなと思っている。

そういう意味で会社を中心とした生態系が「フィットする暮らし」づくりのプラットフォームみたいになったらいいよね。その為に頑張ろうと思って仕事をしているのだ。

ただ、そんな大きな風呂敷を広げても、現実は厳しい。

厳しい現実の中で自分たちの理想を追求する為に僕らは自分たちの会社が備えていなければいけない3つの力を

「自由」「平和」「希望」だと説明している。

「自由」とは契約関係、取引関係、資本関係によって他者から支配されず、自分たちが良かれと思うことができる自由を獲得する力のことだ。

「平和」とはユニークなポジションを作り出し、無用な競争に巻き込まれない平和を維持する力のこと。

「希望」とは今日より明日、今年より来年がきっと良くなってると思いながら日々の仕事ができるようにする為の「希望」の裏付けを生み出し続ける力のことだ。

ずっと僕の理解の深まり方としてはここまでで、ずっとそう説明してきた。

ただ最近改めてドラッガーの著作を何冊か読み直していて、自由、平和、希望を希求することは、イノベーションを起こし続けることなのだと腑に落ちたのだ。

ドラッガーによると「自由とは選択の責任」であり「放縦」のことではないとのこと。ここからは僕の解釈も混じるのだが、もし「自由」が「選択の責任」であるなら、その責任は「社会」から委任されたものと考えられるだろう。そしてより「自由」になるということは、社会からより「選択の責任」を課されるということになる。

では社会からより「選択の責任」を多く任せてもらうにはどうすれば良いのか?

言葉遊びのように聞こえるかもれないが「責任ある選択」の結果としての成果を積み、信用を勝ち得ることに違いない。つまり

「あいつに「選択の責任=自由」を与えれば与えるほど、社会全体の効用を高める「責任ある選択」をしてくれるからもっと「自由=選択の責任」を増やしてやろう」

という風になればより大きな「自由」を獲得することができるということだ。

翻って企業経営者たる僕に社会が期待する効用は何か?といえば事業活動を通じて高い生産性を実現し、より多くの効用を生み出すことだ。そして他の経営者以上の自由を得たければ、他の経営者よりも、任された資源からより多くの効用を生み出す責任を果たせる必要がある。

ドラッガーは「既存の資源から得られる富の創出能力を増大させるのも、すべてイノベーションである。」と言っているから、それに従うならまさに「自由」を希求することは「選択の責任」をよりよく果たすことであり、それは僕の立場にとっては会社の生産性を高め、社会から受任した資源(ヒト、モノ、カネ、情報)からより多くの効用を生み出すことであり、その取り組みを一言で言うなら「イノベーション」だということだ。

自由を希求することはイノベーションを起こしつづけることだった。

そしてドラッガーは「イノベーションは競争を避けること」であるとも書いている。

つまり既存のやり方で他者と競う以外の取り組み方が「イノベーション」であるということだ。

僕らが掲げてきた「平和」であろうとすること。つまりユニークなポジションを生み出して、無用な競争に巻き込まれないようにすることも、「イノベーション」と同義だったのだった。

そして「希望」。

希望とは今よりも未来が良くなっていくという見通しだ。それは来年2倍の資源を消費したから効用が2倍になったということでなく、今年と同じ資源を消費すれば来年は2倍の効用が、再来年は3倍の効用がとなっていく見通しのことである。

つまり「希望」とは継続的な「イノベーション」が起こる見通しのことであり、「希望」の裏付けをつくる力とは、ドラッガーが提唱する「イノベーションの七つの機会」から体系的にイノベーションの機会を見つけ続ける力に相違ない。

つまり僕らの会社が「自由」で「平和」で「希望」のある会社であろうとすることは、「イノベーティブ」な会社であろうとすることそのものだし、それ以外のあり方はないのだなと今更ながら腑に落ちたということなのだ。

そしてそれならば、あいつらを「自由」にさせておけば、あるいはあいつらをほっといて「平和」にしておいてやれば、勝手に社会全体の効用に他社以上に貢献するからあいつらの「自由」と「平和」を増やしてやってもいいじゃないかと社会から思われるように、イノベーションの機会たる「希望」を探し続けようじゃないですかと思ったわけです。