NAOTの靴は、まるで私たちの足を知り尽くしているかのような履き心地ですが、作られているのはなんと遠く離れたイスラエル。イタリアの上質な本革を使い、70年以上にわたって革靴を製造する歴史あるブランドです。
そんなNAOTを日本において現在の人気まで高めたのが輸入代理店のloop&loop社。
代表の宮川さんは、30歳で貿易会社を退職し、4年間にもわたりご夫婦で世界中を放浪。帰国してしばらくした後、NAOTの輸入代理店になることを決めたといいます。緩やかな語り口の中でも、一度大きなお金を動かすビジネスの世界を飛び出したからこそ持てる、経営へのブレない想いが垣間見えます。
前編ではNAOTの日本での支持が広まった経緯やイスラエルとのやりとりについて、後編ではスタッフさんも交えて独自の接客スタイルやその働き方についてお聞きしました。
靴の流通なんてわからないまま、今に至ります。
──NAOTは、奈良の本店と、この東京・蔵前の支店、そしてオンラインショップ、出張イベントと様々な方法で販売されていますが、卸先はいわゆる靴屋さんではないんですよね。
宮川
もともと僕は、靴屋の経験があったわけではないので、靴の流通を知らないままに輸入し始めて今に至ります。ですから、靴屋さんには卸さない!と決めているわけではなくて、たまたまNAOTを販売したいとお声をかけてくださったのが色んなジャンルのお店だったというだけなんです。
NAOTはもともと、妻の母親が奈良でやっていた「風の栖」というお店で販売していました。でも、NAOTを取り扱っていた商社さんが取引をやめてしまって、もう日本では販売できなくなっていて。1、2年ブランクがあったんですが、お客様からのご要望が多かったので僕らが輸入代理店になり取引を再開しました。
ですから、靴屋になろう!なんて考えていなくて、ただ目の前のお客さんに届けたいという一心で、16足でダンボール一箱の取り扱いから始めたんです。
──それが今ではこんなに多くのお店で販売されるようになったのは、何か大きな転機があったのでしょうか。
宮川
ないんです。ちょこちょこ増えていっただけで。そんなこと言って、「最初にバーンと投資できるような金を持ってたんだろ」とか「宮川はどこかの御曹司なんだろ」なんて言われるんですけどね。いやいや、僕らがNAOTを輸入しはじめたときは、夫婦で4年近くもバックパッカーをして日本に帰ってきたばかり。ほとんどお金は使い果たしていました。
ですから、輸入した靴を売り切らないと次を入荷できない。売って、仕入れて、売ってを何回も繰り返して今に至ります。
──特別な戦略はないと。
宮川
はい。生きるために一足一足必死でお客様にお届けしてきただけです。
──でも、宮川さんは世界旅行に出かけられる前は貿易商社にお勤めだったのですよね。大きなお金を動かすのは得意なのでは?
宮川
たしかに以前は一千万、二千万という単位のお金を動かしていました。でも、全然違うんです。そんなお金が動いても、何も感じなかった。お客様の顔が浮かぶわけでもなく、ただ仕事のために仕事をしていて、これは何のためなんだろうっていつも思っていました。
それで会社を辞めて、夫婦ふたりでバックパッカーで世界を4年間旅をして帰ってきて、1年くらいはプー太郎をしていました。当時はまだ34歳だったから、何かできるとは思っているんですけど、やりたいことがない。世界を旅するというのが夢だったので、その夢は達成してしまって…。
──抜け殻ですね。
宮川
そう、抜け殻。それで、義母のお店で何か仕事できないかなぁ、くらいの感じでアルバイトをさせてもらって。そうしたら、もう今でも覚えているんですけど、めちゃくちゃ楽しかったんです。商品を入れる袋にお店のスタンプを押すだけでも楽しい!僕は、お医者さんでもないのに、人を笑顔にできるなんてって電気が走ったんです。
ただ、お客様が喜んでくれたらそれでいい。僕にとってはもうそれがスタートでゴールなんです。これ以上はないんです。たくさんの方が僕たちの販売する靴で喜んでくださっている今の状況は、もう、奇跡としかいいようがないんです。
電卓なんて叩かない。ただ、見つけてもらうだけ。
──卸先が増えていったのはどのような経緯だったのでしょうか。
宮川
最初は卸ということすら意識していなかったんです。僕らのお客様のために輸入しただけ。ただ、前の商社さんから買われていたお店は他にもあって。僕たちが販売を再開したという話を聞きつけて、うちも販売したいという声がかかるようになって、じゃあ輸入代理店として卸もしなくちゃなと。
ただ僕たちが積極的に営業をかけることはなくて、NAOTの靴が良いとか、僕たちの活動が面白いみたいなところでただ見つけてくださったんです。それが段々と増えただけ。一言に卸といっても、雑貨屋さん、古道具屋さん、お花屋さん、カフェと多種多様で。だから、気に入ってくださった理由もきっと様々だと思います。
卸だけに関わらず、僕たちの靴はいつもお客様の方から見つけてくださることが多くて。もう、よくぞ見つけていただきました!って。
──ウェブサイトでは、コラムなど様々な発信をされていますよね。それが大きいのでしょうか。
NAOTのHPでは、「Little Story」として様々なコラムが掲載されている。
宮川
うーん。どうなんでしょうね。
ウェブも何をしたから何になるだろうというよりは、自分たちの表現の場としか考えていないんです。僕たちのこの靴に対する愛情とか、携わり方とか、面白がり方とか、お店でお客様に伝えるように、ウェブという場を使ってもっといろんな表現にチャレンジしてみたいなと思ったんです。
──では、ウェブでの戦略があるわけでもなく。
宮川
教えてほしいですもん、それ。
──こんな情報を書けば検索順位がどうとかということも…。
宮川
それもすぐに教えてほしいです(笑)
理論的なことが言えなくて、ほんとに申し訳ないです。とにかく、旅に出る前の仕事の仕方に疑問があったんです。売上ノルマがあって達成しないといけない。なぜかといえば、そうしないと給料がもらえないから、仕事だから。一体なんの意味があるんだろう、ってずっと思っていました。
だから旅から帰ってきたら、そういうこととは違う働き方がしたかった。もはや何になりたいということもないし、究極的には自分たちが幸せであればそれでいい。
旅をしていた時も、次にどこの街に行こうかって決める時は、こっちの方が面白そう、ワクワクするからっていう理由で選ぶようにしていたんですね。今のこの会社も同じです。電卓なんて叩かない、ワクワクする方、良い匂いがする方を選ぶ。もう、ビジネスとは真逆のポリシーです。
ドアTOドアで24時間!遠く離れたイスラエルとのお付き合い
──御社はNAOTの日本唯一の輸入代理店ということですが、NAOTの靴が日本で履かれていることをイスラエルではどう思われているのでしょうか。
宮川
もちろん喜んでいますよ。イスラエルに行くと取材されたりしますね。日本で着物でNAOTのサボを履いている写真を送ったらそのまま記事になっちゃったり。不思議な感じですね。
──普段はどんなやりとりをされるのですか?
宮川
ビジネス、ビジネスした感じではないですよ。最初からそういう方達でしたが、もう付き合いも長いですしね。ほんわかとメールをしたり電話をしたり。地震の心配してくれたりするような。
最低でも1年に1回は行くんですが、ファミリー!って歓迎してくれます。ホテルに到着したらどっさり果物が準備されてたり。
──何と温かい。イスラエルって直行便で行けるのですか?
宮川
ほぼ行けないですね。韓国とかトルコとか、いろんな国を経由します。時には、ドイツやオランダまで飛んでから戻るなんてことも。NAOTの工場は、イスラエルの中でも田舎の方にあるので、うちの家からドアtoドアで24時間ぐらいはかかります。フラフラで到着してすぐミーティングなので、大変ですけどね。
──すごい…それでも年に1回は行かれるんですね。
宮川
やっぱりメールや電話ではなかなか伝えきれないところを、直接会うとすぐ決まりますからね。特にオリジナル商品の細かい仕様決めは現地でやったほうがはやいので。
まあ、それが終わったらもう一緒にピクニック行ったり、ワイナリー行ったりするだけですけどね。
──それは楽しいですね。現地ではどういう方が履かれてるんですか。
宮川
NAOTはイスラエルで最も古い靴屋さんですから、いろんな人が履いていますよ。タクシーに乗ったら運転手のおっちゃんが履いてたことがあって、「NAOTやん」って言ったらイエー!って返してくれたり。70年くらいの歴史がありますからね。
──古い国ではないイスラエルで70年というと…
宮川
そうです。建国が1948年でNAOTの発祥は1942年。国の歴史と共に歩むブランドなんです。
2人きりで世界放浪したからできる夫婦経営の秘訣。
──NAOTの販売をされる前は、ご夫婦2人で4年間バックパッカーで世界を旅して、今も一緒に働いていらっしゃいますが…喧嘩はされませんか?
宮川
旅のあいだは何回かしましたけど、その度にルールを作ろうと決めていたんです。
例えば、中国の成都っていうパンダがたくさんいる街があるんですけど、妻はそこにパンダを見に行きたいっていうんですよ。でも、僕はパンダになんか興味がないから行きたくないと喧嘩になり、一緒に旅する意味もなくない?もう辞める?みたいになってしまって。
で、翌朝起きて冷静になって、これからそういうことは多々あるだろうから、どちらかが行きたいって言ったら行くルールにしようと決めたんです。それで、僕もそのルールに従ってパンダを見に行ったら…めちゃくちゃ楽しかったんですよ。パンダ、めっちゃかわいい〜!って。やっぱりこのルールはよいなと。
そんな風にルールを作っているうちに喧嘩も減って。喧嘩をしても、一回一回きちんと喋るようにはして。旅の後も一緒に働いて、もう20年ですからね。普通の夫婦の一生分くらい一緒にいるよなぁと思ってるんです。だから嫁が死んだら、ちょっと泣いちゃうんちゃうかな。
──すごい喪失感でしょうね…。
宮川
僕が先か同時に逝けたらいいんですけど。まあ、妻はNAOTをもともと販売していた「風の栖」の運営と、会社全体の経理とか労務を担当していて、僕はNAOTが中心なので、実際はずっと一緒というわけではないんですけどね。
家では仕事の話はしないことになっていますし。子供のこととかしか話さないです。あ、普通の夫婦の喧嘩はしますね。部屋を片付けろとか。
──じゃあ、一緒に働いている大変さはあまりなさそうですね。
宮川
ないですね。旅の間は、トイレと風呂以外全部一緒だったので、それに比べたら今は距離が取れていますし。息子が間に入ることでさらに距離もできて、ちょっと寂しいですよ。妻の愛情は全てそちらにいって僕が不要なことも多くて、最近はもっぱらソロ活動中です。
後編ではNAOTのファンを作り出す独自の表現活動やその発信をする会社の風土について、同席していたスタッフさんも交えてお話を伺いました。
後編「お客様の笑顔が見れなくなったら解散、分業しない全員野球でNAOTを届け続ける」
PROFILE
好きなもの:UFO、美味しいお酒、家キャンプ