その、ココナッツオイルブームの火付け役ともいわれるのが、今回お話をうかがうブラウンシュガーファーストの荻野みどりさん。創業からわずか数年で年商7億の会社に成長させた敏腕社長です。
もともとは、自身の子どもに食べさせたいものをつくろうと始めた、小さなお菓子屋さん。「わが子に食べさせたいかどうか?」を基準に決めて踏み込んだ食品業界でも、ワクワクすることを求め、疑問は放っておかない。自分の感覚を信じた選択を重ねて歩んできたといいます。
お母さん目線で考え行動する荻野さん。身ひとつで乗り込んだに近い業界での奮闘と、それでも笑顔で子育てとビジネスを両立する、パワフルさの理由を聞きました。
思い立ったら即実行。4ヶ月のわが子をおぶって「お菓子屋さん」に
———荻野さんは、これだ!と思ったものには突き進んでいくイメージがあります。過去のインタビューを拝見してすごいと思ったのは、大学にも4回入ったとか……。
荻野
違うと思ったらすぐ次に行っちゃうんですよね。潔ぎよいといったら聞こえはいいけれど、別の言葉でいえば飽きっぽい(笑)。
昔は、続けられない自分に自己嫌悪になっていたんですけど、早めに「違う」と気付くのは、武器かもしれないと考えるようになりました。
———いつ頃からそのような考え方になったのですか。
荻野
高校生のときに、すでに忍耐は放ってしまいましたね。
社会人になっても、「最低3年は続けないと、仕事の本当の良さも悪さも分からないよ」と、すごくみんなに言われてきた。でも、先を想像してみて楽しくないと思ったらすぐ辞める性質は、変わらなかったです。
———なるほど。でも、いまされている株式会社ブラウンシュガーファーストは、もう設立から7年続いています。たしか創業のきっかけは、お子さんが生まれて「わが子に何を食べさせるか?」ということを考えだしたからだ、と。
荻野
妊娠8カ月のときが、3.11の震災だったのもすごく大きいです。私は福岡の出身なんですけど、嫁いだのは東京で生活の中心はここ。娘を産んで、何を食べさせて、どう育てていったらいいんだろうとすごく考えるようになりました。
私も福岡に一時的に帰ったりしながら、すごく不安だらけで世の中がグラグラしてるときに出産をした。特に食まわりは心配なことがたくさんあって、居ても立ってもいられなかったんです。
子どもがもう少し大きくなったときに、どんなおやつを食べるんだろう?と考えてみたら、私が安心して娘に食べさせたいと思えるおやつがなかなか手軽に買えないことに気がつきました。特別なお店や集まりに行かないと手に入らなかったり、安心とおいしさが両立していなかったり。
———分かります。私も自然食品店で、全然溶けないしおいしくない子ども用のインスタントスープを買って、自分でも「これはまずい」と思っているのに子どもに食べさせた苦い経験があります。もちろんそれは嫌がられて、なんだかなぁという気持ちになりました。
荻野
そうですよね。私としては、お母さんも子どもも両方が嬉しくて、納得がいく地点を探したかった。それがなかなかないから、自分でつくろうと思ったんです。
まずは、子どもが8ヶ月のときに、国連大学前のファーマーズマーケットで、子どもをおんぶしながらお菓子を販売し始めました。
———すごいバイタリティです。お菓子づくりもご自身で?
荻野
お菓子教室の先生をしている福岡の母にレシピを考えてもらって、実際につくるのは、福岡の社会福祉施設やママのチームにお願いしました。
お菓子を売りたいと考えたときに、自分でつくる発想が出てこないのが私なんです。つくるのは得意な人に任せたいし、私は売って回るのが得意だから、そっちに専念しようと作戦を立てるんです。
それぞれ得意なことをやるというのは、今も変わりません。もちろん、「つくる」ということにしても、私自身が品質にはすごくこだわりますし、パートナーを探すときに、思いが共有できる相手とやることには、すごくこだわっています。
一番初めにお菓子づくりを依頼するときには、「まちのお菓子屋さんに、絶対空いてる時間がある」と思い込んで、アプローチしたこともあったんですが、無謀でした。自分の商品じゃないと扱いが雑だったり、見積が高すぎたり。それで、気持ち良く商売できるところを探そうと強く思うようになりました。
いまは結果的に、福祉施設とのお取り組みでお菓子をつくっていますが、社会貢献と考えて始めたわけではないんです。「一緒に仕事するなら、楽しくできる相手」という観点でパートナーを選んでいるだけ。自分のお客さんたちに喜んでもらうためには、つくる人との関係性もできるだけ気持ち良くしておくことが必要だと思っています。
「ココナッツオイルといえばここ」のイメージが招いた、問い合わせの嵐
———「ココナッツオイルブームの仕掛け人」といわれる荻野さんですが、「ナタ・デ・ココみたいにはしないとがんばった」と拝読しました。いろいろな食品のブームがありますが、どんな状況を避けたかったのでしょうか。
荻野
ナタ・デ・ココもココナッツオイルも東南アジアの工場でつくるのですが、ナタ・デ・ココブームのときは、どんどん工場の規模が拡大して、従業員の皆さんも「よし、仕事が決まった」とローンを組んでバイクとかエアコンを買ってしまって、その後ほどなくして仕事を失うという状況があったそうです。
それを知っていたから、誠意がないことはできないし、私が面倒を見切れないことはやらないって腹をくくっていました。
ココナッツオイルブームの渦中は、自社で供給できる量の10倍以上の注文が来ていたんですよ。「何千万円か投資して拡張しましょう」、「工場を買収しましょう」なんていう拡大の話も、積極的に来てたんです。だけど、5年10年商売を続けられるのか考えると、たぶん日本のブームはそんなに長くは続かない。
———10倍!すごいですね。
荻野
すごかったです。「注残」といわれる順番待ちがこんなになってて。
1780円のココナッツオイルが、amazonでは8000円になるくらい品薄の状況になっていましたから、需要に応えようと規模を拡大していたら、急成長していたでしょう。
でも、その生産の背景にどれだけ私が責任持てるか。行ったこともない工場の製品に、当社のラベルを貼ることはできないと思っていました。
ココナッツオイルの商品化って、すごく簡単なんですよ。ディーラーがいて、ココナッツオイルのサプライヤーを探せばすぐに見つかるし、値段を決めてラベルのデザインを送れば、ラベルを貼った商品が送られてくる。
ブームの渦中は日本にも300銘柄くらいのココナッツオイルがありました。「これがきてる」となったらバーッとつくって、ブームが去りそうならパッと手を引くってことが、職人技的にうまい会社がたくさんあるんです。
ただその結果、粗悪品がたくさん出ちゃう。ブームで売り抜けて終わりっていう感じなので、瓶にお問い合わせ窓口がないのも当たり前で、全部うちに苦情が寄せられる、という……。
———「ココナッツオイルといえば、ブラウンシュガーファースト」というイメージがあるんですね。
荻野
そうなんです。それをコールセンターで受けてたんですけど、電話1回につき100円〜200円以上かかるんです。他社製品のお問い合わせに、たくさんお金を払う状況になってしまった。だけど、そこは腹をくくって全部きちんと対応しようと決めました。
ちょうどブームの時期に重なってしまったけれど、うちの会社の使命は、このココナッツオイルが10年20年ちゃんと日本の食卓に根付くようにすること。それは最初からずっと言い続けているんです。
お客さんから、「ココナッツオイルを摂るようになって、いい変化があった」という声もいただくんです。だから、ちゃんと品質を保った上で10年20年、その人たちが買えるようにする使命があると思って踏ん張りました。
———ブームがひいていったのはいつ頃でしたか。
荻野
2015年の冬くらいかな。みなさん、すごい勢いで引いていきました。でも私たちは、食品業界経験者がほぼいない中でやっていたのでぼーっとしてて、最初はブームが引いたのに気づきませんでした。
———目先のことじゃなく、10年20年先を見ていたから、というのもきっとありますよね。
荻野
そうなんです。「これはまずい。今、急ブレーキだ」と思った瞬間に、海の上に2コンテナ待機していて、合計30000本が待ってる状況になってしまいました。
その頃、スーパーのココナッツオイル売り場では、他社の製品が、原価を完全に割るような値段で売り尽くしセール。小売価格1000円以上のココナッツオイルが100円ショップに並ぶほどでした。
ありがたいことに、私たちの商品はなんとか値下げせずに売っていただけた。そこに救われましたが、それでも在庫をたくさん抱えて途方にくれました。
これが、工場を増設していようものなら潰れていたと思うし、商売を終えることになっていたでしょうね。
いま、タイの工場とは6年くらいの付き合いになります。そのくらいの時間をかけてじわじわ成長してきて、20人くらいの規模だったものが、今は100人超えています。工場の方たちも、このスローペースな成長をよく理解して下さったなと、感謝しています。
ブームが去ったとはいえ、今も定番のココナッツオイルは、1ヶ月に1万本がコンスタントに売れているんですよ。
足りなさを自覚して、「助けて」を武器に
———荻野さんの、ビジネス感覚はどこで養われたのでしょうか。
荻野
何でしょうね、楽しいかワクワクするかを基準に考えていることが、自ずといい方向へいく理由な気がします。そして、その発想を共有できる取引先に恵まれているからビジネスが成り立っています。
貿易を仕切ってくれているのは、三宗貿易という福岡のおじちゃんがやっている会社なんですが、すごくいい関係です。青山のファーマーズマーケットでお菓子を売ってるときに、オーガニックのジュースも売ろうとメーカーを探していたら、三宗貿易さんが自社でつくってるジュースがすごく良くて。仕入れされていただいたのが、スタートです。
「社名に貿易があるから、この人貿易する人や」と思って、ココナッツオイルを買いたいんですと伝えたら、社長がリュック背負って、タイまで一緒に出かけてくれました。
パートナーにはすごく恵まれてます。創業してすぐお世話になった福岡のキョーワさんていう倉庫があるんですけど、右も左もわからない私に、すごく良くしてくださった。私自身はすごく足りないところが多いから、皆さんに助けていただいて、今があると声を大にして言いたい。
どうしてもテレビなどに出ると「荻野さんすごい」みたいになっちゃうんですけど、本当にだめなところが多くて、ダブルブッキングはやっちゃうし、計算とかすごく間違えるし……社長のくせに。
でも何が得意かというと、人に「助けて」って言うのが得意なんだと思います。うちの社員は今10人ぐらいなんですが、みんながおもしろくって、楽しむことが得意なメンバーが揃い。
たとえば、いまは社食はお休み中なんですが、ママパートのアサちゃんていう子が、昨日今日と1人400円で「アサちゃんの原価食堂」というのをやってくれたんですが、それがめちゃめちゃおいしいんですよ。
会社でも任せるところは任せる。私は何か大きい所を引っ張っていけられればいいので、後はみんなに楽しんでもらうことができたらと思っています。
完璧じゃない子育てを、前向きに乗り切る方法
———ちゃんと助けを求められるのも大切なことですよね。とはいえ、小さなお子さんも育てながらアクティブに行動するのは並大抵でないだろうと想像します。どういうふうに両立しているのか知りたいです。
荻野
うーん、手放すことはパンパン手放しています。完璧であろうとしないのは、仕事でも私生活でも同じで、「完璧なお母さんではありません」という前提で娘とも接しています。小学1年生になる娘には、「忘れ物をしたら自分が困るよね」とある程度任せています。
役割を整理しながら優先順位を立てて、がんばりどころは押さえつつ、あとはどんどん手放す作業を積み重ねてきました。
たとえば、フルタイムで働いて保育園にお迎えに行ってから寝かせるまでって、やることがいっぱいで、全部はやりきれないこともあります。そういうときは、お風呂は1日くらい入れなくてもいいって割り切る。鍼灸の先生に聞いたら、常在菌は洗いすぎないほうがいいくらいだから、それくらいでいいんだよって言ってましたし(笑)。
———なるほど。うちもその考え方、採用します!子育てをしながら仕事する上で一般的にはあまり使われてないけど、こんな方法使うともっと楽になるよということがあれば教えて欲しいです。
荻野
手軽ならものなら、やっぱりお気に入りの調味料じゃないかと思います。
———確かに。私、本当にココナッツオイルに出合って良かったと思っているんですが、簡単な料理でも手をかけた味になるというか……。手抜きでもOKって思える。だからすごく分かります。
荻野
本当に便利。私の一押しは、タマネギ炒めるときにココナッツオイルで炒めること。タマネギの甘い香りとココナッツの香りが、すごくいい感じにマッチしておいしいんですよ。和食にも意外と合います。
それに、スプーンについた残りは手に塗ればスキンケアになっちゃう。すごい時短でしょ(笑)。
だしやしょうゆなどの調味料もお気に入りを常備しておくと、料理が楽になる。ブラウンシュガーファーストも、ココナッツオイルだけでなく、スパイスや調味料、そのほかにも日々の料理を助けるようなラインナップにしていくつもりなんです。
後編では、食料廃棄の問題へのアプローチ「#食べ物を棄てない日本計画」についてや、荻野さんが憂う食の未来について。もやもやを放っておかない性格で、大きな課題に真っ向から、自分らしく立ち向かっています。