後編では、暮らしかた冒険家の仕事観、伊藤さんがワーキングマザーの葛藤のなかで見つけた活路についてお聞きしました。
聞き手は、普段は夫と娘と家族3人で山梨で生活をし、週1で東京に通うライター・小野です。
21世紀の冒険の舞台は暮らしの中にある
──結婚式も新婚旅行もすでに冒険のようでしたが、「暮らしかた冒険家」というユニット名になって活動し始めたきっかけを教えてください。
伊藤
たしか、2011年の7月くらいです。東日本大震災後に引っ越した熊本では、すごく古くて、まるで廃墟みたいな家に暮らすことになりました。
せっかくなら絶対に東京ではできないことしたい。そこで、「築100年、家賃3万円、新幹線の駅まで徒歩圏」という物件を見つけて、これはおもしろいぞ、と。
ジョニイも「3万円なら払う」って(笑)。でも、家の改修って全く予定通りにいかなくて。結婚式は2時間遅れくらいで進行できたんだけど、家は1ヶ月遅れどころの話じゃなく……ずっと掃除していて埃まみれだし、名前をつけないとやってられなかったんです。
「これって冒険ですかねえ」、「暮らしの冒険…ですよねえ」って私がブツブツ言っていたら、ジョニイが、「これは、いい言葉を思いついたねえ」と言ってくれました。「だってさあ、20世紀の冒険といえば外に行っていたのに、俺たち今、家の中だよ!21世紀の冒険だよ!」と。
ずっと東京で暮らしていて、クライアントワークのウェブの仕事をしていると、自分たちがただ俯瞰で見ている、何の手も下していない人たちだというコンプレックスがあったんです。でも、なりたいのは研究家やアドバイザーじゃないし、もっと本質的なことをやりたい想いがあったから、「冒険」という言葉が降りてきたときにしっくりきました。
──今はもう、その名前しかありえない気がしちゃいますね。暮らしかた冒険家の”暮らし方”は、「札幌国際芸術祭2014」では「hey,sapporo」というプロジェクトにもなりました。その経緯は?
伊藤
坂本龍一さんが声をかけてくださったのですが、依頼されたときに言っていたのは、「君たちの暮らしはアートだ」と、「市民参加型の芸術祭ってことを考えて」ということ。「菜衣子ちゃんはよく物技交換しているけど、貨幣経済が失った豊かさや、人間のコミュニケーション能力が介在しているはずだから、そこに興味がある」という風に言われました。
そこで、札幌国際芸術祭では、実際に家を改修しながらそこに暮らすことにして、オープンハウスのときはお客さんが改修を手伝ってくれました。「自分にはできることがないんです」と言う人が多いけど、私は当時妊婦だし、スケジュールもパンパンだし、食器洗いをしてくれるだけでもすごく助かる。手伝ってくれた方も、「こんなことで関われて嬉しい!」と言ってくれる。そんなことが起こっていました。
妊婦でよかったのが、おばちゃま達がうちにいっぱい来てくれて「やっとくから、座ってなさい」って世話を焼いてくれたり、協力体制が自然にできあがってた感じです。
「みんなが関わる」の「みんな」の幅が広がった経験でした。内輪で楽しんでいる人たちを見るのが楽しい人もいる代わりに、内輪盛り上がりが嫌だっていう意見もある。私はどっちを信じて進んでいくかって言ったら、楽しい方に決まっているじゃないですか。
──「こういう暮らしかたもあるよ」って広めていくには、きっと「内輪」をだんだん広げていくことが有効な気がします。
伊藤
そうですね。それに、インターネットが出てきてから、内輪で盛り上がっていることが外に漏れ出ていくのがおもしろいと思っているんです。
外野にいたら体感できないおもしろさがあるはず。外と内の橋をちゃんと架けていくことが、私の仕事の課題です。
仕事の対価はお金だけじゃない。物々交換でインフラを整える
──内輪の輪を広げていこうとするときに、外に対してある程度キャッチーさやフレンドリーさを持ってアウトプットをしているのが、菜衣子さんの活動の素晴らしいところだと思っています。
伊藤
広告であっても、いいと思うものを広めるものを作りたい気持ちがすごくあります。
何かを売るための広告だとしても、きれいごとを並べるのではなくて、本当にその情報を知って、その人の購買欲が、人生が、私たちがいいと思った方に行くものが作りたい。
今、私たちが一生懸命作っているのが『♯よむ暮らしかた冒険家』という本。私にとって、これは広告です。
「こんな暮らしがしたい」とか、「こんな家に住みたい」とか、暮らしの考え方の広告を私は作っている。それをみんながお金を出して買ってくれているのは、私たちの活動を支援してくれるクラウドファンディングだと思っています。
──お金の稼ぎ方ということでいえば、現金収入だけでなく物々交換もしているんですよね。クライアントワークの広告制作業と冒険家としての仕事の量のバランスも気になります。一方に偏らないで仕事をしてらっしゃるイメージがありますが、実際はいかがですか。
たとえば、伊藤さんはたくさん野菜も作られていて自給率も高いけれど、クライアントワークが畑のスケジュールと合わない時に、「今回は現金収入をとって、トマトについては良い生産者を探すことにしよう」と判断することもあるんだと、書かれてらっしゃって。
そのバランスが、私としては「素敵!」って思うんですよね。
伊藤
私、いつもいつもexcel打ち込んでいるんですよ。売り上げを見ながらバランスをすごく考えています。内訳がどうなっているか、今見てみましょうか?
収入の内訳でいえば、クライアントワーク6割、暮らしかた冒険家としての仕事で3割、残りの1割は「暮らしかた冒険家がハワイに行って、友達が立ち上げる新しいプロジェクトのリサーチとそのイメージのアウトプットを出す」みたいな中間の仕事ですね。
自分たちで作った本や映画の売り上げや、今ヒカリエでやっている「これからの暮らしかた展」のキュレーターとしての仕事が、冒険家業に入ります。
現金収入以外の物々交換は、主に農家3軒との取引です。たとえば「作ったウェブと野菜一生分」を交換している農家もいて、スイカが言っただけ送られてくるとか、猟をやっている人から肉が送られてきたり。あとは近所の幼馴染の農家は、いろんな種類の野菜を作っているから、暮らしかた冒険家のオンラインで売ったりもしています。
「じゃがいもができすぎて困る!」って言われたら、オンラインで売るのと同時に、私も分けてもらっているんです。
暮らしかた冒険家のオンラインショップには、季節の野菜が並ぶ。
子どものお迎えを優先できる働き方はあるか
──今うかがった仕事のバランスは、希望を感じるかたちですよね。いろんな稼ぎ方があって、しかもそれはお金じゃなくてもいい。今後、もっとこういう割合にしていきたいとか、目標はありますか。
伊藤
今はクライアントワークが多すぎると思っています。妊娠出産で私がコンスタントに働けなかったから、スタッフにほぼ任せられる維持管理が発生するような仕事を、ここ数年は組み立てていました。
でも、もう完全に働けるから、暮らしかた冒険家の本分である「立ち上げ屋」の部分をちゃんとやりたいです。クライアントのお店やプロジェクトが始まるとき、リブランディングしてもっと世の中に活動を広めたいぞ、というタイミングの仕事をね。
維持管理の仕事があると安定するけれど、それって請負側の都合の部分は大きい。私たちはもっとインディペンデントになって、立ち上げ屋として、私たちの一番おいしいところだけをクライアントにあげられるようにしたいんです。
だから、自分たちの冒険業務の売り上げをもっと増やしていきたいんですよね。
子どもが生まれてからの変化も大きいです。それまでは仕事が趣味だったし、使命感しかなかったし、ちょっとでも良くなるんだったら、何時間でも惜しみなく使えたんだけど、今はそれができない。
保育園のお迎えの時間の17時半までにすべての仕事を終えるために、完璧なスケジュールを立てて、それに則ってがんばるんだけど、予定通りに行かなかったときのフラストレーションがすごくなってしまって。
──完璧に計画を立てられる時点ですごいです。でも、だからこそ計画通りに行かないストレスも大きくなるかもしれませんね。
伊藤
「菜衣子さん、どうやったらそんな働けるんですか」ってよく言われるけれど、その答えは、「カメラマンの現場のつもりでやっているから」なんです。カメラマンって、現場でできないことを明日やるわけにいかないから、そのときに最善を尽くすしかない。そのマインドが役立っています。それでもできないこともあるし、瞬発力が落ちてきたのも感じます。
17時20分に「ここを直したいんですけど」って言われたら、今の私はがっくりしちゃう。「良くなる提案をしてくれた」より、迷惑に感じる心が勝ってしまう。
「あー!なるほど」と楽しめる余裕がなくて、その微調整で1%良くなるよりも、私は子どもとの時間を選びたい気持ちになっちゃったんです。
私の「ちゃんと子どもも育てたい!」っていう気持ちの優先順位が高くなっている前提に立って仕事を考えないと、クライアントにどんどん不親切になっちゃって、先がないと思うようになりました。
だからカメラマンの時の仕事のように、すごく割り切って、「予算、条件、ロケーション、この光で今できるベストはなんですか?」「これです!」という感じで作ったのが、自分たちの本『♯よむ暮らしかた冒険家』。
編集のスキルも写真を選ぶことも、文字を書くことも、そんなに難しいことはやっていなくて……というよりは、自分で難しくないようにルールを決めてやっているから、予定通りに進められるんです。
「予定通りにいく仕事」と「クリエイティブで世の中を良くする広告をつくる」、そして「地方に暮らしていること」、自分の条件を掛け合わせていくと、これしかないのです。
本は、いいことを大量生産できるもの
伊藤
いいことを広告していると、うまくいきすぎて、クライアントのマンパワーじゃニーズに応えられなくなることがあります。どんなに広まっても需要に答えることができる強度が、新しい試みやオルタナティブなことって持ちにくい。
逆に、わが家で使っているエコハウスの必需品の窓をつくっている大手企業のYKK APのお仕事もしているのですが、おもしろいと感じるのは、YKK APは窓をいくらでも出荷できるから。広告がうまくいって、みんなが樹脂窓を買ってくれたら、エネルギー問題が解決していくんです。
私は、資本主義のカウンターカルチャーから始まった思考回路だから、「大量生産できる」ことをネガティブに捉えていました。でも、大量生産できる、品切れを起こさないことの可能性を教えてもらいました。「何それ!そんなかっこよさってあったんだ!」って。
だから「大量生産」についても結構考えたんですよ。簡易に、広まれば広まるほど良くなっていくものをつくること。その答えを、自分たちが本をつくることで探しています。
最初に5000冊と大量に刷って家に在庫は置いてあるんですが、1箱100冊入っていて、卸値とか個人への発送を平均すると、だいたい一箱10万円の売り上げの計算ができます。だから、仕事の経費も含めて、毎週1箱ずつ売っていけばうちは食べていけるんです。
スキルを全投入して、日々の糧を得る
毎週、この一箱を減らすことなら、いずれできそうな気がするんです。そして、この本の魅力を自分たちで一生懸命SNSで書く。
そこに今までのすべてのノウハウが詰まっていて、泥臭い話もOK、制作過程の話もOK、私たちの有名人コネクションもOK。そうすると、1投稿で数十冊売れるんです……と言うとかっこいいけれど、発行から日が経つうちにだんだん売れなくなっていくので、あれこれ試さねばという試練です(笑)。
私たちが発行し続けられる「本」というツールを使い、宣伝はこれまで培ってきたSNSで簡単にできる。そして500冊売れば黒字になるとすると、すごく可能性を感じます。
──じゃあ、5箱でいいんですね。なんだか無理な感じがしない数字です。
伊藤
そうなんです。そして私たちには、いいクライアントがたくさんいるんですよね。お店を立ち上げるときに、ウェブサイトを無料で作った友達が、ちゃんとお客さんに愛されるいい店になってたりする。
私たちが立ち上げ屋だということと、お店がうまくいったときには本を取り扱ってくれるというモデルも、ぴったりとくるんです。
私たちは、いい店の立ち上げばかり手伝っているから、いい店の売り場がちゃんと確保されている。だから、暮らしかた冒険家の本の取り扱い店一覧が超いけてるっていう状況が作れる。今までやってきた点が、線どころか面でつながりました。
本を作るまで、なんとかしなきゃいけない問題リストがたまっていたんです。「地方だし」「子どもいるし」「夫婦で働くとめっちゃ喧嘩になるし」みたいな(笑)。ほかにも、出産と産後でがっつり消えた貯蓄の穴埋めやら、視察や家の実験的なリノベーションやら、冒険費の捻出とか本当に課題だらけ。
「さて、この問題が全て解決するプロジェクトは何でしょうか?」という課題の答えが本だったんです。移動中の車の中ですぐに編集会議もしたりして、8号分の特集まで決まりました。たぶん少し変わるけれど、60ページの本に耐えうる強度のあるコンテンツはそれくらいあると思うんです。
──たしか季刊誌の予定だから、2年先まで予定が決まったということですね。
伊藤
そう、2年は安泰(笑)。1号5000冊あって500冊で経費を清算して、1000冊プレゼントしたとして、3500冊売るとうちに入る利益が350万円くらいです。だから、順調にいけば年間2冊出したら、私たち家族と1人のアシスタントのベーシックインカムが入る計算なんです。
そんなに有名人じゃないからいばらの道ですが、それができたら、自由ですよね。私はそんな挑戦をしてみたいんです。