著者のひとりである星野概念さんは、ミュージシャンであり、雑誌やWebメディアで数々の連載を持ち…という、マルチな肩書き。
その活躍から、どうしても派手に立ち回る「働き方」を想像しますが、どうやらそれは勘違いのよう。 総合病院に週5で勤務する常勤医として、人々の話に耳を傾けている星野さんは、世の中の「生き方」「働き方」をどのように見ているのでしょうか。
長かった悩める時代を抜けて、「40代のいまはだいぶ楽になった」というご自身の来し方と合わせて、お話をうかがいました。
力士、フレディ、矢沢…「ああなりたい」がエネルギー源だった
──今日はよろしくお願いします。そもそもなのですが、精神科医って救急車の対応もするんですね。インタビューを始めようとしたら、救急車が来てその対応でインタビュイーが出ていくというのは、なかなか驚きのシチュエーションでした。
星野
あはは。そうですよね。医師免許って科で分かれているわけではなくて、論理上は僕が手術をすることもできますからね。総合病院に勤務しているので、救急車の対応は仕事のうちです。
──星野さんは「お医者さん」なのだと実感できる貴重な体験でした。しかし、改めて考えてみても、お医者さん、ミュージシャン、文筆活動、星野さんのお仕事はそれぞれいわゆる「憧れの職業」だと思うんです。ライターの立場からすると、『BRUTUS』で連載している、なんて羨望の的です。どんな超人かと思ってしまいます。
星野
なるほど。たしかに、言われてみたらそう見えなくもないかもしれませんね。肩書きにも「ミュージシャン」って書いたりしますが、サポートの仕事をしたり、ちょっと曲を作ったり、ライブをやったりはしているけれど、ほんのちょっとですよ。
書く仕事については、もともと文章を書くのが好きだったんです。バンドをやっているときも、8人くらいしか読者はいないはずなのに、毎日長文のブログを書いていました。
本当にくだらない話ばかり書いていた記憶があります。例えば、昔めちゃくちゃ太っていて、相撲部屋に入門していた時の話とか……。
──相撲部屋! 全くいまの風貌からは想像できないです。
星野
小学4年生のとき、「お前デブだから、相撲部屋の体験に一緒に行こう」って友達に誘われて。それで相撲部屋に行ったら、親方に「君は筋がいいからちょっと来ないか」って。
──すごいエピソードですね。入門したんですか。
星野
はい、半年くらいですが。週末には、早朝から相撲部屋に行って稽古して、兄弟子とお風呂入って、ちゃんこを食べるみたいな生活でした。その半年くらいは相撲にハマりすぎて、家ではずっとまわしで過ごしていました。
なにかこれというものがあったら、過剰にのめり込むところがあるかもしれないです。
──なるほど。たしか、NBAの選手にもなりたかったと本で読みましたが、そちらも意外でした。
星野
本気でなりたかったので、必死で、背を伸ばすのにいいと言われることをしていましたね。高校のときにはミュージシャンになりたい、というかフレディ・マーキュリーの大ファンで、僕、性的指向を変えたいと考えていたことがあります。今考えたら安直すぎるんですが。
──それはまた極端ですね(笑)。
星野
栄光の感じはもちろん、彼についての記事を読むと辛そうだから、それを分かりたい。あと、なんであんなに上手く歌えるのか知りたくて、ジョージ・マイケルやエルトン・ジョンも好きだったので、繊細な表現と性的指向にどこか関連あるんじゃないかと考えていたような気がします。
その感覚を身につけないと、裏声と地声を使い分けて歌うのは無理なんじゃないかと思っていました。
──なるほど、面白い視点です。
星野
自分とは性的指向が異なる人たちを読者対象にした雑誌を読んだりもしていたんですが、性的指向は変わらなかった。当たり前ですよね(笑)。いまも、なるべくいろんな人のことを分かりたいと思うんだけど、もちろんどんなに相手の身になろうとしても、分かりきれない部分もやっぱりあります。
──その時は精神科医としてじゃなかったけれど、「分かりたい」という欲求は今の仕事にも繋がっている気がします。
星野
そうですね。自分が興味を惹かれる人はどういう気持ちなんだろうということへの、探究心は続いているのかもしれません。だから、バンドをやっていたときも、フレディは諦めて、永ちゃんになろうとリーゼントにしてみたりとか(笑)。迷走してましたねぇ。
話がずいぶんそれてしまいましたが、とにかく無駄話みたいなのを書くのが好きで。今の書きものの仕事も小説を書いているわけじゃないし、精神科医としての仕事の一環だと思っているんです。だからアイデンティティとしてやっぱり精神科医なんです。
経験のすべては「精神科医」のヒントになる
星野
別にいろんな経験を踏みたいからいろんなことをやっているというわけじゃなくて、ただ面白そうだからやっているというのが、根っこです。あらためて聞かれると、たしかにいろいろやっているんですが、自分のことってよく分かんないな。
ともかく、自分の中では、わらじは「精神科医」一足のつもりというか……。
──マルチな意識はないんですね。私を含めて、周りの人は異端な人に捉えられている気がするんですけど、先ほど週5で病院勤務と聞いて、たしかに精神科医だな、と。
星野
ミュージシャンや書く仕事は、表向きは精神医療とは繋がりがなく見えるかもしれないんですが、いろんなことをやっていると、いろんな人に会うじゃないですか。
病院の施設で過ごしていると、もちろん患者さんや医療者の人とは、たくさん話をする機会があります。でも、他の現場に行くと、ミュージシャンがライブをするにしても、スタッフの人とか、フェスの主催者とか、いろんな人との出会いがある。そういうことって、全部診療に生きるような気がするんです。
こういう人もいる、ああいう人もいるってことを知ると、人のことを想像しやすくなる気がします。結局、診療は、相手をどれだけ想像できるか、相手の人に成り替わるくらいの感じで想像できれば、相手にあまり負担がかからないような支え方ができると思うんです。
診療ってすごく個別なもので「この人だったらこういう方法がいいだろう」と考えてアドバイスをしたり、接したりする。そういうことを考える時に、やっぱりいろんな人に会っていた方が、なんていうんですかね、データベースじゃないけれど……。
──引き出し、というか、人を理解するヒントが増えるのかもしれません。
星野
そうですね。受診される方のなかには、演劇をされているなど、芸術系の人が結構いるんです。そうすると、「ここから本番で一番きついんですよ」と言われて、その現場の話を想像できるのは僕の強みかもしれません。医療者は相談に来る人の伴奏者みたいなものだと思いますから。
光が射してきたのは「ああなりたい」をやけっぱちで捨てたから
星野
僕も、めちゃくちゃ迷走してたんですよ。
20代のその頃は、自己啓発本をいっぱい読んだりして、自分に合わないことをずっとやっていたんましたが、「どうでもいいや」と思ったときがあって、あまり「自分はこうなりたいんだ」って考えないようにしたんです。流れでやってくるものに対して、とりあえず一生懸命やってみようと決めたんです。
それまでバンドで活動していた時には、武道館で1万人とか集めるようになりたいとか、ならなければいけないみたいになっちゃって。「こういう音楽をやりたい」じゃなくて「売れなきゃいけない」という気持ちが強くなりすぎて、何やっているかわからなくなっている自分がいて。結局考え過ぎて、最後は全身タイツにピンクのコートを羽織ったんですよ(笑)。これがクレバーな感じだと勘違いして。
──注目を浴びるというよりは、悪目立ちというか……。流れが変わったのは、何歳くらいのときですか。
星野
10年くらい前、30歳くらいだと思います。それまではけっこう辛くて、「本当に生きている意味あるのかな」って考えたり。
──精神科医なのに。
星野
そうなんです。表情もずっと暗かったし、大学院の頃の学生証なんて暗黒からやって来たみたいな顔写真でした。
だから、昔財布を落としたときに、たまたま昔の学生証が入っていて、警察に行って、「その学生証、お前じゃないだろ」って言われたくらい。
──顔相が違ったんでしょうね。その不安な時期が20代、30代初めくらいまであって、そこから自然に身を任せたから良かった。もうちょっと、どんな風に身を任せたかを聞くことはできますか。
星野
どうしたんだろうな……。正直にいうと、なんで今、20代のときより楽なのかよく分からないんですよ。よく分からないんだけど、とにかく40歳でこんなこと言うのもあれなんですけど、「こういう風にしたい」とか「こういう風になりたい」って気持ちがないことが大きい気がするんです。
ただ、こういうのはやりたくないというのはあります。たとえば「How to本は出したくない」とか。自分に合わないものがちょっと分かったのかもしれないですね。僕は生き方をマニュアルっぽく考えるとか、合理的に生き過ぎるのは合わない。
合理的で成功している人に憧れていたけれど、それが合わないっていうのにやっと気づいたのかもしれません。
星野
自分はこうしたいとか、自分はこういう風にしているのが心地良いっていうのは、多くの人はなかなか分からないです。たまたま見つけた人は、早くから楽に生きているみたいですけど。
なかなか簡単には見つからないけれど、それを見つけるコツは、たとえば雑誌にある「楽しいことリスト」を片っ端からやってみるというのが合う人もいるかもしれないし、人それぞれに方法が違うと思います。
だから結局……探すのは大事なんですけど、こんなこと言っても難しいと思うんですけど、焦りすぎても見つかんないときは見つかんないし、見つかるときは見つかるんですよね。
劇薬よりも、平熱を上げる処方箋を
──星野さんは、インタビューなどで「曖昧さも大事」とか「白黒だけじゃなくてグレーもある」って話をされていて、そういった考えも、ご自身の経験からですか。
星野
そうです。それに、診療でも重なる部分があって、症状によりますけど、たとえば幻聴が聞こえるなどはっきりと症状が出ている人は、薬で抑えられたり、ある程度結果が予想できるんです。だけど、なぜか落ち込んでいるとか、すごくネガティブな考えになっちゃうみたいな人が来たとしても、その人を「治す」と言えるくらい大層なことってできません。
僕ができることは、ただその患者さん、クライアントが、何かに気づくとか、ちょっとずつちょっとずつ変わっていったりするのを支えるとか、少し整えるみたいな役割なんです。
「この人なかなか治らないな」と焦ったり、それで薬をたくさん出したりしても、どんどんその人は辛くなってくるわけです。薬の副作用が出たりもしますし。
だから患者さんがずっと曖昧な状態、なかなか良くならない状態であっても、医者は少なくとも耐えないといけない。その曖昧さに耐えていると、知らない間に何か見つけて少し楽になっていくというのは結構あることなんです。
──なんでも白黒つけられるわけじゃないですものね。
星野
僕が好きな日本酒に例えても、米を蒸しただけじゃ酒はできないですからね。しばらく置いて、待たなくちゃいけない。ただお酒の場合は、待っていればお酒ができるって分かるから待てる。でも人生の場合は、こうなるっていう結果が分からないから待つのは大変ですよね。でもまぁ、いつか何かにはなるんです。
だからその過程に変にテコ入れしすぎると、どんどんどんどんゆがんでいっちゃう。もともとの自分がなくなっちゃうような気がするんです。だから、よく分からない時期を、曖昧な時期もあるっていうのを受け入れて、やり過ごすというのも大事なんじゃないかなと思います。
──ことの大きさは違ったとしても、誰にでもそういう時期はありますよね。
星野
たとえば、『情熱大陸』とか、心動かされるドキュメンタリー番組って、登場する人のハイライトを凝縮して、どうしてもすごい部分が凝縮して映しているじゃないですか。でも、実際はその人だってすごくない部分、ダメな部分もあるはずなんです。
僕は、バンドでうまくいかない時とか、すごい人の生きざまを見ては落ち込んでいました。真似してやってみたりするけど、できなくて、この人と自分は才能が違うんだとさらに落ち込んだりとかして。
──でも『情熱大陸』を見て、日曜の夜に「月曜日から頑張ろう」って思えたりもします。
星野
それで元気になれる人はいいんですけどね……僕の経験だと、なかなかそんなにうまくいかないなっていう人も多いんじゃないかな。『情熱大陸』はカンフル剤的に奮い立たせてはくれるかもしれないけれど、人生のだいたいは平熱大陸だと思うんですよ。
──平熱大陸(笑)。たしかにそうですね。もうちょっと常温のもので、平熱を上げていかないと本当はいけない。
星野
なかなか平熱を上げるのは難しいけど、ストレッチするとか(笑)。
──白湯を飲むとか。
星野
そんなにすぐに何かになれないから、若い時はやっぱり不安が多いんですよね。待てないし、不安なんだよなあ。でも、地味なことをずっと続けていると、気づいたら何かしらにはなっているに違いない。そう信じるしかないんです。
後編では、精神科医の目線から考える、ちょっとしんどい社会を生きるヒントをお届けします。
後半:心の声を聞くために、必要なのは「自分のトリセツ」と「自分の居場所」。
PROFILE
好きなもの:酒、落語、湯