ノンフィクション作家という仕事。自分の奥からする小さな声に耳を傾けて。──川内有緒さんインタビュー【後編】

書き手 小野民
写真 鍵岡龍門
ノンフィクション作家という仕事。自分の奥からする小さな声に耳を傾けて。──川内有緒さんインタビュー【後編】
ノンフィクション作家の川内有緒さんへのインタビュー後編です。前編ではキャリアを重ねることで見えてきた「働くこと」の意味、現在の仕事にたどり着くまでの道のりについてお聞きしました

後編では現在のお仕事についての実際や、クラシコムジャーナルのテーマである「フィットする働き方」について尋ねました。

「書き下ろし」はつらいよ。自由の代償は不安定

──現在ノンフィクション作家としてご活躍ですが、国連を辞めてパリから日本に帰ってきた時点では、きっと、仕事の保証があったわけじゃないですよね。

川内
そうですね。日本に帰って来てから子どもが生まれるまで3年くらい間があったんですが、最初はど貧乏な時代を過ごしていました。

結婚していて2人で暮らし始めたんだけど、2人とも貧乏で両方ともなーんにも収入がない時代があった。家賃を払うのも大変な時期が1年くらい続いたかな。

イオくん(夫)がフリーランスのライターとして頑張ってくれていたんだけど、私はのほほんとしているうちに1年くらい過ぎちゃって。その間にも、バングラディシュに行って『バウルを探して』を書き始めちゃったし、非常にまずいぞという事態でした。

──本って、原稿を書いて収入になるまで、すごく時間がかかるイメージです。

川内
その通り。だからといって他にライターとしての仕事もなかったけれど、なぜかライターとして細々とした仕事をやりたいって全く思わなかったんです。

生活するためにやったのは、かつてのコンサルタント時代の同僚から頼まれる仕事を手伝うことでした。開発の仕事が嫌になって国連を辞めたわけではないので、頼まれれば一生懸命に取り組んでいました。ボリビア、バングラデシュ、トルコなど、海外調査にも行きましたよ。

──ライターじゃなくて、コンサルタントの仕事で生活費を稼ぐというのが興味深いです。

川内
私がやっていたのはリサーチコンサルティングっていうんだけど、経験があるからある程度は器用にできちゃう。子どもが生まれるまでは、両立してやっていました。

終盤は、書き下ろしの長編以外の文章の仕事も少しずつ出てきて、書く仕事とコンサルティングと半々くらいの割合でしたね。

──これまでに単行本も何冊か出されていますが、本になるにはどんなプロセスを踏むのでしょうか。文庫本の奥付などを見ると、雑誌に載って、単行本になって、また違う出版社で文庫になって……とハードルが多いというか、営業力がいるのかなと想像するのですが。

川内
いろんなタイプがあるけれど、雑誌に連載したものが一冊にまとまって、さらに文庫化されるのが、経済的にはいいパターンですね。3回お金になるし、さらに重版もかかれば不労所得になります。

文庫化は大きな手間をかけずにできるから嬉しいけれど、少なくとも1万〜1万5千部くらいは刷るから、それだけマスの人たちに訴えかけられる見込みがないと実現しない難しさもあります。

私の場合は、ほぼ単行本書き下ろしというかたちでやっているから、今回の『空をゆく巨人』もまだ1円もお金になってない。もう2年くらいやっていて、今日もまたゲラを直さないといけないんですけどね。

──私のようなライターには想像がつかない、すごい仕事です。

川内
ずっと持ち出しが続くから、しんどい瞬間はもちろんあります。でも完成したときの喜びはひとしおです。

──今回の書き下ろしについていえば、ニューヨークまで取材に行ってらっしゃいましたよね。

川内
はい。この『空をゆく巨人』に関していうと、結構取材が多くて、たぶんいわき市には10回は行っていると思うし、あと京都に1回、ニューヨークにも1度行っているから、取材だけでも数十万円かかかっています。あと資料を海外から取り寄せたり……また高価なんですよ、画集が。

持ち出しばかりが続いて疲弊してしまう状況は、ノンフィクションを書くことにおいて、問題だと思います。昔は取材費としてまとまった金額を出版社が出すこともあったようです。

──その代わり書き始める時に出版社と契約を結ぶとか、きっとそういうことですよね。

川内
そうですね。だいたい私の場合は、書き始めるときに「この出版社から出すぞ」と決めていることもあるけれど、契約するわけでもないし、経費はもちろん出してくれないし、いずれ出版してくれるんだろうと信じて邁進するしかないんです。

──世の中には、ポシャってる話もきっといろいろあるんだろうと想像します。

川内
あるでしょうねぇ。途中で編集者が転職しちゃうこともあるし、書いたはいいけれど宙に浮いている、みたいなことはよくあると思う。

私も、『晴れたら空に骨まいて』(ポプラ社)のときは、はじめは他の出版社が出したいという話があったのですが、それが中止になり、何回も宙に浮いていました。振り返ると、これまでのどの本も、どの出版社から出すかということについては紆余曲折を経ています。

自分のテーマを信じて進む。その覚悟が人を動かす

川内
本がどうなるか分からないにしろ、自分の中でリスクを取ってやるしかない。いろんな人を取材していくときに、「この本はどうなるか分からないけど、自分はやりたいんです」って気持ちが、時に人を動かしたりもします。

──確かに、逆説的にそうもいえます。

川内
『空を行く巨人』の主人公の1人、蔡國強さんは世界的なアーティストでつかまえるのすら難しい人物。もう、どこで何をしているのか分からないの。一度取材の許可が降りて場所を決めようとなったら、「じゃあ、モスクワでやろう」と(笑)。

「プーシキン美術館で個展があるから、赤の広場に来てくれないか」って。「じゃあ弾丸で赤の広場に行ってくる」って準備していたんだけど、政治的な理由で蔡さんのイベントが中止になってしまって。

アメリカに行ったときも、アメリカに着いたら、アシスタントの方が「ごめんなさい、蔡は今、モスクワに飛んでしまいました。ちょっとお待ちいただけますか」って。冷や汗が出してましたよ。結局、4日間くらい待っていました。

──うわぁ、「待つ」の単位が壮大です。そういう意味では、川内さんはリスクを取りまくりですね。

川内
実はアメリカへ行く以前に、京都で1度蔡さんに本の構想を話したら、「その本はすごく難しいと思う。みんなそういう本を書きたがるけど、書ける人はいないですよ」と言われていたんです。さすがに落ち込んで、うまくいかないかもしれないとも思いました。でも、ここで降りたらこのプロジェクトは終わりだ、私はやりたいって想いで進んでいたんです。

4日間待ってやっとアメリカで蔡さんに再会した時には、以前あった本に対する否定的な雰囲気がすごくポジティブな感じに変わっていたんです。「この人、本当に来たんだな」って。京都まで来るのは計算内でも、アメリカで何日も待っていたのは、蔡さんにとっては想定外で熱意を感じてもらえたんでしょう。

──そんなお話を聞いたら、『空をゆく巨人』が楽しみです。川内さんの本の題材や文体には、川内さん独自の視点が生きていると思いますが、ノンフィクションのネタの見つけた方、書き方みたいなものは持っていますか。

川内
特にネタを見つけようとはしていませんね。ふだんの生活の中で種に出会って、何が芽を出すかはまだ分からないけど熟成されてあるとき書いてみようとなる。

自分の中にも常識の境界線があって、そこをやすやすと超えていける人を見ると憧れます。そういう人と出会うと、「この人みたいになりたい」とか「この人の生き方からもっと学びたい」という気持ちが出てきて、自然と追いかけていくみたいな感覚です。

──ノンフィクションを読んでいると、なぜこんなにディティールを描けるんだろうと思うんです。取材しているにしても、例えば川内さんが国連で働いていた当時のことを描いた『パリの国連で夢を食う。』なんて、まだ作家になる前のご自身の日々を詳細にユーモラスに描いていて、本当にすごいなぁと。

川内
あぁ、あれか(笑)。私がパリに行ったときは特に最初すごく孤独だったから、日常を書くことで紛らわせていたってことがあって。日記がいっぱい残っていたんです。あの作品は、まずmixiをコピペするところから始まったんです。

もう1回思い出して書こうとしたら、あそこまでビビッドじゃないかもしれない。mixiって友達向けに書いていたから、全然飾りのない感じで書いていたのもよかった気がします。

──そうなんですか。常人じゃない、こんなの書けるって頭の中どうなっているんだろうと思っていました。

川内
全然すごくないんですよ(笑)。

姉妹で考えた「母にフィットする働き方」がもたらしたもの

──もちろん取材や書くこと、一冊の本に仕上げていく労力は並大抵じゃないから、すごく大変な仕事だと思いますが、それでも、川内さんにとっては今の仕事が自分らしい、自分にフィットするものでしょうか。

これまでのキャリアが刺激に満ちたものな気がするから、「普通の生活」で、うずうずしないのかな、と気になりました。

川内
そうですね。今、何の不満もないし、変える必要も感じていません。

子どもが生まれてからは、どうしても保育園に行っている間=仕事の時間だから、できる量はすごく減りました。ただ、そのおかげで引き受けるものと引き受けないものの線がはっきりした気がします。

自分でテーマを見つけて書いていく、仕事のペースはそんなに変わらない。その他のライター仕事が減って、収入は減っているので、問題といえば問題ですけど(笑)。まぁ、最低限これだけは必要という低いハードルはクリアしているからいいのかな。

──夫のイオさんが、なにかで「小学校に娘が入学したら夫婦それぞれ1ヶ月間の旅行に行くと決めている」と書いていらして、すてきだなぁと思いました。

川内
そうそう、一応そういう約束をしていて。本当に行くかどうかは分からないけど、いつでも行けると思うと気楽になります。

──仕事といえば、プランナーの妹さんとお母さまと。ギャラリーの運営もされています。

川内
恵比寿にある「山小屋」のことですね。実家に近い場所で、「これがギャラリーなの?」っていう5畳くらいのスペース。ここの運営は、本当に自分の人生にとって豊かな実りのある活動です。

コンスタントにクリエイターの人たちの生き方に触れることによって、自分の人生に豊かなものが流れ込む感じがあって。素晴らしいクリエイションを間近で見て、その作品を吟味して買うことができる喜びといったらありません。

──自分たちがやっているのに、買っちゃうんですね(笑)。

川内
大抵は作品を1、2点は買うので、「こういうギャラリーの人珍しいです」って言われます(笑)。自分たちにとっては商売的なものではなくて、本当にその人たちのクリエイションに触れる機会という感覚ですね。

家族でやっているからすごく楽しいんですよ。「フィットする働き方」に関係するかもしれないけど、「山小屋」は、母が、趣味でバッグなどを作って売るお店をずっとやっていた場所なんです。

6年くらい前かな、そのスペースをどうするかという話をしていたら、妹がギャラリーをやりたいと言って。「あんな小さいスペースでできるの」、「番は誰がやるの」って、みんなですごく考えました。

そのとき、「何のためのスペースだっけ?」というそもそもの話になったら、母のための場だと気づいたんです。だから「母が晩年輝く場にする」というコンセプトでやろうと決めたんです。

──すごく素敵です。

川内
母を慕ってくれる人たちが集まって、わいわいできる場だったら何でもいい。ただ、母も高齢だから、1、2ヶ月に1回だけ、本当に自分たちが好きな作家だけの企画展だけと決めました。それ以外はレンタルでお貸ししています。だから無理がない運営なんです。展示中も、月火休みでしかも13時から19時だけ。

母が一応店長です。とにかくお友達が多くて、あらゆる世代の知り合いがいるから、たくさんお客さんが来て母はイキイキしています。

他人の声より、自分の声に耳をすまして

──「フィットする働き方」を川内さんは模索をしてきた人だと思うのですが、そのために大切にしていることはありますか。

川内
結構いろんなところで言っているんですけど、自分の心と対話することです。心は大抵のことをすでに知っている感じがする。いろんな声が自分の中にあるけれど、一番奥の方にいる声をうまく聞いてあげるというか。

──どうやったらその声を聞けるのでしょうか。

川内
うーん、どうやったらいいんでしょうね。日常的にやろうとしている気がしますね。

みんないろんなことに惑わされるけれど、もっと物事はすごくシンプルで、自分の心がイエスっていう方向に動くだけで、簡単に開けていくものなんじゃないかと思うんです。

──川内さんは、人生の中にぼーっとしている時間が結構あるとインタビューで答えていましたよね。そういう時間をちゃんと持つことが大事なのかと思いました。

川内
何もしていない時間、ありますね。転職と転職の間は何をしてるんだか分からないし、人生の中でプランニングしていない余白の時期に、新しいものに出会ったりする。逆に、余白のないものがあまり好きではない。

ちょっと話は飛躍するかもしれませんが、全部ちゃんと伏線が回収されていく小説も嫌になるときがある。無駄なものがないと息苦しい。南米の小説で、ねちねち何の意味があるか分からないことを書き連ねていたる箇所なんかがあると、それこそがすごいおもしろい部分だったりします。

──なるほど、「プランニングしていない余白」っていう言葉もいいですね。たぶんそれって、転職と転職の間とか何ヶ月スパンの話でもあるし、1日とか短い時間の流れの中でもいえることかもしれないです。

これからなにかチャレンジしてみたいことはありますか。絵本を描きたいとなにかで読んだのですが。

川内
絵本を作りたいですね。いくつか構想もあります。ノンフィクションって現実に起こったことしか書けないし、すごく制約が多い。自分の意見を言うことすらいいか悪いかの議論もあるくらいです。そういうものと向き合っていると、脳が疲労しちゃう。

絵本ってすごく自由ですよね。えー!展開がこうなっちゃうの?みたいな奇想天外なお話も書いてみたいです。

前編:仮面はいつか取れなくなるから、仕事にも「自分らしさ」を。

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インタビューに登場した川内有緒さんの新刊『空をゆく巨人』(集英社)は11月26日発売です!