目指すのは老舗。HPもない謎めいた存在が、人を惹きつける。オールドマンズテーラー しむら祐次・とく【後編】

書き手 小野民
写真 土屋誠
目指すのは老舗。HPもない謎めいた存在が、人を惹きつける。オールドマンズテーラー しむら祐次・とく【後編】
有限会社オールドマンズテーラーの代表であり、「R&D.M.Co-」のデザイナーでもある、しむら祐次さん・とくさんのインタビュー後編です。

前編では、生き残りをかけて生み出したブランドや、2人の「好き」を詰め込んだ愛着のある商品についてのお話を聞かせていただきました。

後編でうかがうのは、インタビュー場所ともなったコンセプトショップ「DEAR GROUND」のことや、アパレル業界をとりまく今と未来の話。

時代をよみながらも、ぶれないものづくりへの静かな情熱を感じる内容です。

自分たちを伝えるメディアはブランドを体現する店

──ブランド10周年の節目に、オールドマンズテーラーの本『R&D.M.Co-』ができ、15周年の節目にはここ「THE DEARGROUND」というお店ができたと聞きました。

本が予想以上におもしろくて、のめり込んで読みました。おしゃれなものを眺めるつもりでめくっていたら、ものづくりのマニアックな話やこだわりもしっかりと分かって勉強にもなりました。

祐次
本をつくることは、ちょうどいい振り返りになりました。

地元で協力してもらいながらやってきたこともあるし、日本中のいろんな地方の人たちの技術なども借りながらMade in Japanでやってきました。その集大成として本ができたのは、タイミングが良かったです。

その頃、いろんな雑誌では紹介されていたんですが、僕たちはホームページもつくっていないし、イメージが一人歩きしている部分もあるようでした。たまにインターネットで「オールドマンズテーラー」について検索すると、刺繍なども全部僕らが手縫いでしているって話が出てきたりしました。

──しむら夫妻が夜な夜な刺繍しているみたいな(笑)。

祐次
そうそう。情報ばかりがすごく氾濫しちゃって、そこには間違った情報も多かったんです。自分たちが言葉で語るのも大切ですが、かたちとして見せることも大事だなと思うようになりました。それで、発信するアンテナ、拠点とするものとしてやはり店が必要なんじゃないか?と。

彼女とサンフランシスコに遊びに行ったときに、この「Far Leaves」という紅茶に出会って、輸入代理店をする話も出たタイミングだったので、せっかくだからお茶を飲めるスペースも欲しいよねということで、カフェスペースもある店になりました。

とく
どんなことを感じながらものづくりをしているかを、感じてほしかったんです。結構、「ナチュラル系」が流行っていて、私たちもそういわれたけれど、ちょっと違和感を持っていました。だから「私たちのスタイル」を発信する場がほしかった。素材が天然素材なだけで、ナチュラル系ではないぞ、と。

少しくらい謎があったほうがワクワクする

祐次
ほっこり系とも言われていたけれど、ものづくりは決してほっこりしていませんからね(笑)。

僕らとしては、リネンの商品は主軸ではありますが、そこに特化してたわけじゃなくて、他の素材も好きだし、それぞれの素材感やデザインも、決してナチュラルだけではないという想いがありました。

自分たちの言葉で語るということもできるけれど、僕らとしてはやっぱり、ものづくりで自分たちのこだわりを表現したいんです。色使いとか、柄とか、素材感とかでね。

とく
人をはっとさせる。いい意味でちょっと何か裏切っていくみたいなことをしたいんです。

──自分たちの言葉で発信すれば簡単かもしれないけれど、あえてしないのはいさぎよくてすごく格好いいなって思います。

祐次
あまり情報ばかり知りすぎるのも、頭でっかちになって知った気になるじゃないですか。

とく
ちょっと分からないぐらいのほうが、いいんじゃないですか。

自分たちも興味のあるものだったら、調べたり、直接行ってみようって思います。結局、確認は自分たちの足でするしかないと思うから、ホームページもなくてもいいかな、と。

あとは、私たちそういうの苦手だったんですよ。

祐次
会社の人数も少しずつ少しずつ増えてきましたが、それでも事務方には、僕らを抜かして5人。工場で生産をしているのが5人。あとは、お店にアルバイトも入れて3、4人というのが規模で、発信にさく人手がないのも正直なところです。

とく
「THE DEARGROUND」ができて、この土地で考え、企画をし、生産から販売まで一貫してできるようになったのは本当に良かったと思います。

展示会もここができるまでは、都内のスペースを借りていたんですが、回数を重ねるたびに商品が多くなり、商品を見やすく展示できるスペースが都内で見つけられなくなってしまったんです。展示会を富士吉田で行うようになって、みなさん遠方からわざわざ来てくださる。自分たちとしてもすごく良かったと思います。

「新しさ」のインスピレーションは海外で仕入れる

──立ち上げはご夫婦2人でしたし、今も共に働かれるなかで役割分担はありますか。夫婦でお仕事するってすごいなと思います。

祐次
好きなものが一緒だからやってこれているじゃないですかね。それを仕事にしてずっとやってきたから。でも当たり前すぎてあまり考えたことないですね。

とく
ずっと一緒にやってきたからね。本当に同じようなものばっかり見てるから、感覚が同じなのかもしれません。ただ男と女の違いはあるあるから、あまり甘くなりすぎないのは彼がいるからだし、バランスが取れてるのだと思います。

撮影で入った工場でも、ちょっとの合間にはすかさず2人で織り途中の布をチェック。ものづくりへの真摯な眼差しは、常に同じところを向いているよう。

祐次
ひとつのものに対して、どっちかが引いたり足したりっていうことをうまくやりながら、できあがっていく感覚です。

──最強のコンビですね。ケンカはしないですか。

とく
よくしていますよ(笑)。でも、ケンカというより、仕事の意見を出し合うって感じに近いです。

祐次
お互いの気持ちを溜めないで、その場で言い合っていることが、継続していける理由かもしれませんね。

──おふたりの1年のサイクルは、どんな感じでしょう。アパレルでは「展示会」ってものがあって、その前はものすごく忙しい、くらいの浅知恵しかないのですが……。

祐次
1年に2回展示会があって、5月、11月の展示会の前3カ月は、だいたいものづくりに徹しています。

とく
他のアパレルはもっとみんな早くて、3〜4月と9〜10月くらいですね。みんなに早くしたほうがいいっていうふうにずっと言い続けられてるけど、その時期になってしまう。やっぱり早くもできないし。

祐次
取り引き先様のことを考えれば、まわりの時期に合わせることも必要だと思います。けれど、僕らはどうしても自分たちのペースでしかものづくりができなくて。新規開拓は重視していません。

──展示会の前3カ月ぐらいはものづくりってことは、1年の半分くらいはひたすらものづくり……。

とく
うーん、展示会前はそこに集中してやってるけど、それ以外でも何かを探したり、何かを織ったりっていうことは常にしてます。

祐次
展示会が終わった後の1カ月か1カ月半ぐらいがちょっと気の抜けるときで、海外に行ったりとか、リフレッシュする時間になっています。

──リフレッシュといいつつ、きっとそこでも次のものづくりのためのインプットをしているのでしょうね。

とく
そうですね。パリとロンドンには、展示会が終わったタイミングで年に2回くらい行きます。でも、間際まで何も決めません。

祐次
何をつくりたいとか、どういうものを見つけに行くとかは全くノープラン。「次の何かがまた見つかればいいかな」っていう感覚で、何も求めない。

いろんなショップやマーケットをまわりながらずっと探し歩いている、10日弱くらいの旅です。

とく
やっぱり日常とちょっと違う所、違う場所に行ってみたいんです。そういう所を見られれば、次の何かを発見できたり 、イメージしやすくなるんです。

祐次
海外に行かなかったときもあるんですが、何かモヤモヤしてるんですよ。でもそれはそれで今までの自分の頭の引き出しを出してがんばります。

とく
日本にいると子どものことも仕事のことも日常に埋もれてしまいがちだけれど、離れてみるといろいろなことが白紙になってイメージがわいてくる感覚があります。

祐次
自分たちがつくりだしたものを、みなさんわざわざ見に来たり、買ったりしてくださる。そこに報いるには、新鮮さとかおもしろさとか、ドキドキするような、輝くようなものをつくり続けないといけない。

もちろん、ドキドキ感を与えるためには、自分たちもドキドキし続けないといけないと思っています。

自分たちのものづくりは、伝統を残すためのもの

──今後の夢や目標はありますか。

祐次
うーん、それが全然なくて。継続していくのが一番の目標ですね。

古いままでもいけないし、新鮮なものも求めたい。芯の部分は変えないでものづくりをしながら、ちゃんと時代も見ていかなくてはいけないと思いますね。

──いまってどんな時代ですか。

祐次
ものが氾濫して、いろんなカテゴリーがある。十人十色で、分かりやすいファッションの流行ってない気がします。

そんななかで、自分たちのものづくりを見失わないで、継続しつつも、いつも新しいものを、喜んでもらえるものをつくり続けたいですね。

もっともっとたくさんの人に洋服を着てもらいたい気持ちはあります。ただ、自分たちはトラディショナルなものづくりっていう基本を踏まえて、今の時代感を入れています。さじかげんが難しいですね。

──ファストファッションが全盛ないま、うっかりするとトラディショナルって失われちゃいそうです。

適切な例か分かりませんが、結婚式の服装も今どんどんカジュアルになってきています。楽チンでいいかもしれないけれど、もともとあった服装の意味すら失われていくのは、それでいいのかな?と思うことがあります。

祐次
ファッションに限らず、トラディショナルはどんどん忘れられていっていると思います。今後のものづくりやファッションの行方に不安を感じます。

今の若い世代の子たちがファッションブランドの上に立ったときに、洋服づくりはどうなっていくんだろうと思ったりします。僕らは、好きだったらトラディショナルとは何か?を知って、より深く掘っていくという文化のなかで育ってきました。

音楽もそうで、ロックバンドが好きだったら、洋楽も聞いて、ロックのベースにはブルースがあって……という根っこを知るのって大事だと思うんです。

新しいものをつくっていく若い人もそれはそれで大事だと思う。ただ、自分たちは古いことも大事、新しいことも大事。そのうえで、トラディショナルなものづくりをしていきたいと思っている。

継続していくことが一番大事。そして維持することも、つくることができるのも、感謝しています。

──遊び90%で富士吉田に戻ってきたけれど、いまやしっかりとここで仕事をして、共に働く人の人生を背負うまでに。仕事の場所としても、富士吉田はよかったのではないでしょうか。

祐次
そう思います。ここで暮らしていなければ、いまの仕事、ものづくりはできていなかったかもしれません。

とく
この場所でやってこれたから、マイペースを保って続けてこられたのだと思います。私も、今後のことは何も考えてないけれど、今が一生懸命だから、そういう日々を続けていければいいですね。

工場では、しむら夫妻よりはるかに年配の織機たちも、カシャンカシャンと小気味よく動き続けています。糸を通す専門の職人がいるといい、いちからのものづくりが、いかに多くの人の力を合わせて成り立つのかを垣間見た気がしました。

前編:ビジネスよりも居心地の良さで選んだ地元で、唯一無二のブランドを育てる。