校正・校閲会社「鷗来堂」の代表、書店「かもめブックス」の店長など、本にまつわるさまざまな生業をお持ちの、柳下恭平さんを迎えた対談の後編です。
前編では、幅広い柳下さんのお仕事の内容や、意外と知らない校正・校閲会社のマネタイズなどについてうかがいました。お話に共通するのは、柳下さんのアクティブすぎる活動は、すべて本につながっているということ。その内容は本の可能性を改めて感じさせてくれるものでした。
後編では、本屋に止まらない「かもめブックス」の役割に続き、「北欧、暮らしの道具店」と柳下さんがコラボするなら?というわくわくする展開に。本をめぐるアイデアや未来は、まだまだ深掘りの余地がありそうです。
就活サイトより効果大!本屋が果たすリクルート
柳下
横軸は幅があるように見えて、全部僕は本のことをやっているんですね。その縦軸が経営だと思うんです。
僕の仕事の課題に「少子化」があります。たとえば少子化で出版の売上がシュリンクしても、情報という商材はシュリンクしない、ということにビジネスの勝機がある。有史以来、文字の情報量が一番多いのが現在だからです。
さらに、日本語というマーケットがシュリンクしても、英語のマーケットはシュリンクしていないので、我々の校正・校閲は、輸出する技術なのかもしれない。そのあたりも、校正・校閲の会社である「鷗来堂」の戦略として考えています。また需要減の問題だけでなく、労働人口の減少による校正者、校閲者の供給が難しくなる可能性についても解決策を模索しています。
青木
僕も相当深刻に、少子化や労働人口の減少問題を捉えています。
柳下
クラシコムさんはたぶん大丈夫なんですよ。なぜかというと、B to Bの企業がCと繋がらない状態で労働者を確保するというのが一番難しいんですね。
「かもめブックス」というのは、もちろん本屋さんですけれども、B to Cをつくることによって、「鷗来堂」というB to B企業のリクルーティングをする機能があるところが大事なポイントです。
青木
メディアになっているんですね。いや、すごくおもしろいです。
柳下
場所を持つことは強くて、13年間やってきた「神楽坂の鷗来堂」が、名実とともに体現化されることもあるし、就職を考える学生さんに、「かもめブックス」を入り口に鷗来堂を知ってもらえるんです。
校閲者の求人に関していえば、これまでの「鷗来堂」の就職活動はすごくうまくいっていたんです。ブルーオーシャンっていうのかな。ニッチなマーケットは労働者を確保しやすいんです。
校閲をやりたい、本をつくりたいという大きい枠があって、「校閲者になりたい子」はほとんどうちの会社が受け皿になってきました。
でも、営業マンや総務などの他部署の人たちを「鷗来堂」の社員として増やしていこうとする時に、それだけのリクルートの入り口だとちょっと怖い。そういう意味で、企業の広告としてのショップはすごく有効じゃないでしょうか。これ、あまり今までしゃべったことないんですけどね。
国立、神楽坂を結ぶ「北欧、暮らしの道具店」の本屋構想
青木
僕、柳下さんと違いがあるとすると、バイタリティがすごくないんです(笑)。元気がないから実現に至ってないんですが、広告としてのお店を考えるんですよ。
これからストアがどんどん閉まれば、テナントはどんどん空きます。その時に、たとえば僕ら通販企業って、急成長しようと思うと、売り上げの10%から20%くらいをマーケティングコストとして再投資して成長していくというモデルなんですね。だからその資金を、店舗に当てたら…
柳下
なんだか、おもしろそうな話です!明日にでもやりたい(笑)。
もし今、青木さんから発注をもらえたら、「UAZ (ワズ)」っていう日本ではあまり走っていないロシアの軍用車があるんですけど、それで移動本屋をやりたいです。車を改造して、カラーリングして、クラシコムさんがある国立から神楽坂まで、青梅街道を1周して、バス停みたいに、「◯時にいます」っていう本屋さんをつくりますね。
青木
それができたら、おもしろそうですよね。「北欧、暮らしの道具店」は、フェイスブック、インスタグラム、メルマガなどの情報発信で、だいたい1度に100万人くらいに届けられるツールがあるんです。
そこで、「今日のお店は、◯◯にいます」みたいなことを、毎日いえるんです。そうすると、たとえば移動本屋が毎日10台運行している状態も可能です。
柳下
いいなぁ。移動店舗は、以前からずっとやりたいんです。なぜかというと、流通の仕組みを考えた時に、やっぱり網をつくれないエリアが出てくるんですよね。
法律的にまだ難しいんですけど、ドライバーを旅行者が兼ねたりする可能性もあるんですよね。東京と京都にゲストハウスがあります。その間を結ぶトラックも、ゲストハウス利用者が運用すれば、実質ドライバーコストがいらない。
青木
なるほど!「どうせ行くし」ってことですね。
柳下
そうなんです。空便を持ってくるのが一番もったいないから、たとえば地方に行って野菜を持って帰ってくるとかもありえますよね。
青木
それって、江戸で古着を売ったら、松前船から来た昆布を買って帰るみたいなことですよね。
柳下
そうです、そうです。固定の店舗もすごく大事なんですけど、移動型の何か手段を持っておくのは、実はこの先、一番大事になってくる気がしています。
「無料」が利益をつくる 、紙モノのポテンシャル
青木
僕は紙の印刷って一番儲かるんものなんじゃないかと思っているんです。新しい売り方の発明は必要かもしれないけれど、商品として異常なポテンシャルを持っていますよね。
柳下
「出版斜陽」なんて言葉も、僕自身なんかは実は使わないんですけど、今、そもそも好景気の業種がどこにあるんだという話だと思うんですよね。
一番原始的な出版の動機は「こんなこと知ってる?」で、やり方は詩人がガリ版で詩集を刷って、新宿の西口で売る、だと思うんですよ。その規模でできちゃうんです。
京都でやっている出版の事業も、僕ともう一人の土門蘭という女の子で10万円ずつ持ち寄って、口座1個つくって、その10万円でつくれる本を手売りして、売った分をまた口座に戻して、少しずつ本をつくって増やしていく、すごくシンプルなことでできちゃうんですよね。
青木
そうですよね。実は僕らも、ローコストで冊子ができるからこそ、やれている稼ぎ方があるんです。
「北欧、暮らしの道具店」では、商品を買って下さったお客様に隔月発行の冊子を同封していて、1号あたり約4万部刷っているんです。これを300円で売ったら1200万くらい、一ヶ月あたりで見ると600万円売り上げることができるかもしれない。
ところが、サイトに来ていただいたお客様のうち、買っていただくお客様率が無料の冊子をつけることで仮に10%上がったら、受注が増えるんですね。そうすると単純に300円の冊子として売るよりも、はるかに利益が出る。
体験としての本、インプットとしての電子書籍
青木
たぶん、出版って再定義しなくてはいけないところにあるのかな、と思っていてですね。例えば出版1.0というのがこれまでの出版だとして、出版2.0の状態を、柳下さんはどういう風に描かれているのでしょう。
昔は、総合出版社を中心としたいわゆるメーカーがあって、卸があって、流通があって、という建てつけがありました。だけど、「1.0の建てつけだけではあんまりいいことないよね」ということを、なんとなく思っている人たちがいる中で、変わって来ていることがありそうです。
柳下
出版1.0というのは、ずっと続くと思っています。なぜかというと、教育が紙の教科書だからです。
もちろん、今後教科書がタブレットになったり、デジタルネイティブの教育を受けた人たちが出てくるかもしれない。それでも、背を閉じてページ物にするという情報の編集の仕方って、うまくできてるんですよ。そして、コストも安いし。検索性が高い。
クラシックな時刻表を人差し指と中指で挟んでマーカーを入れるって、やっぱりやりやすいんですね。ただ、それを体験したことがない人がいた時に、時刻表ってなくっちゃうと思うんです。
青木
優位性が理解できなくなっちゃうんですね。
柳下
紙の本の在庫がまだまだ世の中にあって、文学や教育を体験しているうちは、出版1.0という形は続くでしょう。
出版1.0というとバージョンアップを想定しているような形に聞こえるんですけど、もうちょっと漢方薬的な考え方ではないでしょうか。風邪をひいたら、医者に行かずに一定数葛根湯を飲む人がいるイメージに近いです。
本に書かれている情報だけじゃなくて、「情報外情報」も読書体験では大切なんです。読み進めるうちに読んだ分の幅が厚くなっていって、残りのページは薄くなっていくと、「ああ、あとこれだけで終わっちゃう」っていう気持ちになる。
読み終わりたくなくて手を止めるとか、今クライマックスだからついページをめくるのが速くなっちゃうとか。残念ながら、電子タブレットだとその読書感は体験できません。
僕、2010年に8か月くらい、kindleだけで本を読んで、読書感を実験した時期がありました。結論からいくと、僕はまだ、紙の方の読書感の方がいいものが多いと思っています。
ただ、電子書籍だとめちゃくちゃ量を多く読めたんですよ。それに似た読書感って全集なんですね。文学全集って、もともとアカデミックで研究のためにあるものなので、同じ判型で、何文字×何行という判づらも全部一緒なんですね。Kindleでは同じことが起こるんです。
それは僕にとってすごく面白い発見でした。
コンテンツを編むだけじゃない、出版の役割を見直す
青木
紙の編集者は、紙や印刷について、無茶苦茶よく知っています。あるいはフォントがどうとかもよく知っています。つまり紙と印刷で実現するコンテンツやメディアを支えているテクノロジーを熟知しているのが普通です。
でも、その人たちがネットメディアとか、電子的なところをやると、新しいテクノロジーについての知識は不足した状態で、コンテンツだけが乖離した編集をしてしまう例が、結構ある気がしています。
柳下
単行本をつくるときには、「デザイナーを誰にしようかな」というところから始まります。スピード感を持って読んでほしい本ならなるべく行を緩めるとか、本をぶ厚くするという手もあります。逆に、ゆっくり読ませたい時は、紙の斤量をちょっと重めにしてみたり、読むスピードまで考えながらつくると思うんですよね。
ネットの場合だと、ジモコロの柿次郎君なんかは、アイコンをどうつくるか、偏差値が高いものをどう隠すかみたいなところを、すごくうまく考えている編集者だと思うんですけど、そういう「編集」ってウェブではまだまだ発展途上なんでしょうね。
青木
テクノロジーをコンテンツと不可分なものとしてみんなが考えられる世界がくると、本当の意味での2.0時代が来て、紙だウェブだっていう話がなくなっていくんじゃないかなぁという気がしています。
柳下
そうですね。それと、紙の本をつくる技術だけでなくて、出版社が持っている技術って、やっぱりすごいんです。
ひとつは、情報をパッケージングする技術。チームでものづくりをしたり、編集と営業が分かれて売り方を考えたりの基盤があるからこそ、やってこれたことがある。
その技術って、本の編集にかかわらず、世の中のものをパッケージングしていくときに、必ず役に立つ技術だと思うんです。
「かもめブックス」を入るといつも「特集」としての本棚が編集されている
もうひとつは、人を育てるのも出版においては大事な役割です。自分で最初からマネジメントできる作家さんばかりじゃないので、その人たちを育てる…っていうとおこがましいんですが、新人をどう世の中に出すかということも、版元の仕事としてありました。
いまは、インターネットが勝手に世の中に出していくこともありますが、それを最初からうまくできない人も一定数います。作家のマネジメント業も出版社が持っていた技術といえると思います。
編集を考えるときにエージェント機能は切り離せなくて、それは今後もっと必要になるはず。その機能をちゃんと果たしていけば、次の出版2.0なのか3.0なのか、違うバージョンの出版の未来を描いていけると思います。
【前編】校閲会社から本屋のプロデュースまで、本をめぐる挑戦を続ける「かもめブックス」店主 柳下恭平×「北欧、暮らしの道具店」代表 青木耕平 対談