食べる、飲む、洗う、磨く、しまう……わたしたちは日々、あらゆるモノをつかって暮らしています。なかには、祖父母の代から使い続けるほどに身近で「あるのが当たり前」と思えるような製品もあります。その製品たちをあらためて見つめてみると、いくつかのギモンがうかびあがってきます。
なぜ、それほど販売し続けられるの?なぜ、それほどわたしたちは使い続けるの?
この連載では、それらのギモンを通じて、ブランドが長く愛される理由を探っていくことにしました。連載第1回に登場するのは、1973年に発売された「明治ブルガリアヨーグルト」。株式会社 明治の中村哲也さんにお話を伺いました。
中村哲也さん
株式会社 明治 市乳営業本部 ヨーグルトマーケティング部 マーケティング1グループグループ長
Q.どんなきっかけで生まれたのですか?
A.大阪万博「ブルガリア館」での出会いがきっかけです。
明治ブルガリアヨーグルトが生まれるきっかけは、1970年に開催された大阪万博。パビリオンのひとつにあった「ブルガリア館」で、明治の社員が本場のプレーンヨーグルトを試食したことから開発がスタートします。それ以降、一貫して追求しているのは、ブルガリアで日常的に愛される「本場の味」です。
1971年には前身となる「明治プレーンヨーグルト」を発売。1973年には熱意ある説得の末、ブルガリア大使館からの国名使用許可を得た「明治ブルガリアヨーグルト」を発売します。このとき、ブルガリア国との協力関係も築き、技術援助や情報提供、ヨーグルトをつくる際の要になる乳酸菌の空輸提供も受けられるようになりました。
1981年には牛乳パック容器から現在の容器形状へと変更。以後、時代に合わせてパッケージデザインを変更したり、使用する乳酸菌を改良したりしながら、発売を続けています。
「長く続いているブランド、言ってしまえば古い商品であるからこそ、お客さまのなかで『古臭い商品』と思われないようにしなくては」と中村さんは言います。
お話を伺って、明治ブルガリアヨーグルトがロングセラーであり続ける理由が、少しながらでも見えてきました。先にまとめるならば、「絶対に変えない部分」と「柔軟に変える部分」を決めること。そして、大きな目標を常に掲げていることにありそうです。
現在、日本ではヨーグルト市場シェアトップである明治。その看板商品の明治ブルガリアヨーグルトですが、船出から順風満帆なわけではありませんでした。
Q:順風満帆でこられたのですか?
A:いえいえ、苦情ばかりのスタートでした。
(歴史が載るブランドブックを手に、中村さんは思い出も交えてお話くださいました)
大阪万博をきっかけに誕生した明治プレーンヨーグルトが発売されるまで、日本でのヨーグルトといえば、甘みや風味をつけて固めた「ハードヨーグルト」が主流でした(学校の給食に出てきた!という方もいることでしょう)。
しかし、明治が追い求めたのは本場のヨーグルト。生乳を乳酸菌で発酵させただけで酸味も感じるからこそ、「傷んでいるのでは?」といった苦情がたくさん寄せられたそうです。それでも明治は志を曲げませんでした。中村さんが聞き及んだところでは、その支えになったのは、苦情のなかに光ったひとつの言葉だったといいます。
「ヨーロッパで学んだお医者さんや、旅行で日本を訪れた海外の人から『これこそがヨーグルトだ。つくってくれたのが嬉しい』という声が寄せられたんだそうです。それは当時の社員にとって心の支えになっていたのでしょうね。受け入れられなかったからと日本人向けにしなかったことは、大変な苦労があったでしょうが、素晴らしいことだと思います」
ちなみに「飲むヨーグルト」は、1977年に「明治ブルガリアドリンク」として発売されたのが先駆けです。牛乳の宅配が盛んだったことから、瓶入りで容量も合わせていたといいます。こちらも、ブルガリアではヨーグルトを、ドリンクとしても親しまれていることから生まれた商品なのだとか。
Q:半世紀変わらないこだわりポイントは?
A:本場「ブルガリア」のヨーグルトをお届けするということです。
明治ブルガリアヨーグルトは発売以来、製法にも大きな変化はありません。殺菌した生乳に乳酸菌を混ぜ、容器に充填してパッキング。その容器を40~45℃ぐらいの環境に置き、容器の中で発酵させてから冷やし、検品をした後に出荷されています。
ヨーグルトづくりに欠かせない乳酸菌はたくさんの種類があり、その組み合わせによって味わいや食感も異なります。明治ブルガリアヨーグルトに用いるのは、古くから使われてきた「ブルガリア菌」と「サーモフィラス菌」ですが、現在もブルガリアから空輸しています。中村さんも現地と頻繁にやり取りするだけでなく、半年ごとには訪問もするそう。
本場の乳酸菌を使い続け、あくまでも「ブルガリアで食べられているヨーグルト」を作る。それは明治ブルガリアヨーグルトにとっての矜持であり、暗黙のルールになっているといえそうです。
さらに、ロゴデザインもルール化しており、色や書体を統一。あくまで変えるのはパッケージデザインのみに留めています。
また、作曲家の森田公一さんが手掛け、テレビCMでおなじみの「♪明治ブルガリアヨーグルト♪」のサウンドロゴも長年変えていません。
味わい、ロゴデザイン、サウンドロゴは、明治ブルガリアヨーグルトにとっての「絶対に変えない部分」として成り立っているのです。
Q:一方、半世紀で変わったことは?
A:パッケージデザインは定期的にリニューアルしています。
先にも書いたように、一方でパッケージデザインは定期的にリニューアルを重ねています。ブルーを基調に、ロゴを取り巻く円形の模様、《 トクホ 》許可マークやアピールしたいコピーの位置を調整しているのがわかります。中村さんはその理由を「ブランドの鮮度感」という言葉で説明してくれました。
「明治ブルガリアヨーグルトが並ぶ乳製品やヨーグルトの売り場は、頻繁に商品が入れ替わるスペースです。中身の味わいを絶対に変えないと決めているからこそ、売り場で商品の鮮度感を高めていくにはデザインしかありません」
(明治ウェブサイトより)
「たとえば、1996年にパッケージのグラデーションを斜めにした時は、ちょうどスーパーの店頭で大量陳列で見せる店舗が増えてきた時期でした。商品をいくつか並べた時に、グラデーションが横一線になるよりも、斜めにしたほうが迫力が出る……といったように考えた結果です。デザインを変えるときは、ブルガリアシリーズとして同じ考え方をもって全商品で変更しています」
さらに、ウェブサイトやイベントを通じて、乾物をヨーグルトにひと晩漬ける調理法「乾物ヨーグルト」や、ラテアートならぬ「ヨーグルトアート」、しゅわしゅわとした食感が楽しい「マシュマロヨーグルト」といった楽しみ方の提案も積極的に取り組みます。つまり、パッケージや食べ方は「柔軟に変える部分」と決めているわけです。
「発売して45年経ち、朝食に明治ブルガリアヨーグルトを食べた思い出がある子どもは、今やおばあちゃん、あるいはお母さんになっています。同じように子どもたちにも与えてくださらないと、商品は一世代で終わってしまいます。現在のメインユーザーは50代や60代の女性が多いのですが、今後は10代や20代の女性にとっても人気のヨーグルトブランドになりたいという思いがあるからこそ、古臭いブランドや商品として見られないように鮮度感は常に考えているポイントです」
Q:これから目指す先は?
A:同じ発酵食品として、「味噌」や「醤油」のように日本の食卓に並び続けたいです。
ブランドの鮮度感だけでなく、明治ブルガリアヨーグルトは「ヨーグルト=朝食に食べるもの」といったイメージも変え、日本人の食事にヨーグルトをもっと取り入れてもらいたいと考えているそう。目指すのは、味噌や醤油、納豆のような発酵食品たちの存在です。中村さんの目には、ブルガリアのありふれた食卓の光景が浮かんでいました。
「ヨーロッパ、特にブルガリアでは、ヨーグルトはデザートとしては捉えられていません。肉料理のベースにも使うといったように、日本でいう味噌や醤油の位置づけになっています。志は高く持ちたいという意味も含めて、われわれのゴールはそこなんです。奇跡的にというべきか、味噌、醤油、納豆、それから韓国の食文化から広まったキムチも、みんな発酵食品ですから前例がないわけじゃない。やり方は模索中ですけれど、面白いチャレンジになると感じています」
プレーンな味わいだからこそ、さまざまな食材との組み合わせが楽しめる「ヨーグルトトッピング」では、社員のみなさんで試食会を開いて「可能性がある」とあらためて感じあったといいます。中村さんは「私はお酒も好きなので、キムチやノリ、味噌、ちくわを合わせた、おつまみになるものが好きでしたね」と笑顔を見せます。
カレーやラーメンといったように、外国から伝来し、日本の食習慣に合わせて独自に進化していった料理は数多くあります。だからこそ、その挑戦も決して絵空事とは思えません。
味わいを守ることで、いつでも「あの味」を求めて手に取れる明治ブルガリアヨーグルト。さらには家族の世代を超え、食卓の楽しみを増やそうとする攻めの姿勢に、ロングセラーブランドとして生き残るスピリットを感じました。