2018.02.04

私たちが「好き」と生きていこうと決めた瞬間。フラワーアーティスト前田有紀×「北欧、暮らしの道具店」店長・佐藤友子対談前編

書き手 クラシコム馬居
写真 木村文平
私たちが「好き」と生きていこうと決めた瞬間。フラワーアーティスト前田有紀×「北欧、暮らしの道具店」店長・佐藤友子対談前編
本日は、フラワーアーティストの前田有紀さんと、「北欧、暮らしの道具店」店長・佐藤の対談をお届けします。

数年前、前田さんがテレビ朝日を退職するという報道に、驚かれた方も多いのではないでしょうか。

店長・佐藤もその一人でした。

自身の20代は、いくつも職を変え、本当にやりたいことを探す苦しい日々。同じ20代を人気アナウンサーとして活躍されていた前田有紀さんが、なぜ新しいお仕事を始められたのかはとっても気になるところでした。

そこで、今回の対談では、一見、全く違う若い時代を過ごしたふたりが、「”好き”を仕事にするということ」をテーマに、現在に至るまでのさまざまな試行錯誤や仕事への想いを語りました。

前半は、ふたりが今の仕事に出会うまでのお話、後半は、現在のお仕事・暮らしのお話です。

アナウンサーを辞めて、イギリスのお城でインターン!?

ーーー今日は、前田有紀さんと佐藤店長で、クラシコムジャーナルのテーマである「フィットする働き方・ビジネス」というところでお話していただきたいと思っております。まず、前田さんのご経歴ですが、大学卒業後にアナウンサーとして10年間テレビ朝日に勤められた後、2013年に退社してイギリスでお花の勉強をされていたんですよね。

前田
はい、短い期間ですが、前半は語学学校とフラワースクールに通って、後半は中世のお城でインターンをしていました。

インターンといっても、そんなに格好良いものではなくて、有名なガーデンで、下働きというか、弟子入りのようなかたちで草むしりをしたり、お花の水やりやメンテナンスをしていました。

佐藤
「城」というのがすごいですね。

前田
街中が、中世の建物をリフォームして暮らしていて、本当におとぎ話やハリーポッターに出てくるようなお城なんです。

佐藤
すごい場所で過ごされたんですね。その後、帰国してお花屋さんで働かれていたんですよね。

前田
はい。自由が丘の「ブリキのジョーロ」という生花店で。そこで、3年くらい働いたあと、妊娠を期に退職しました。

今は、フラワーアーティストとして空間装飾やイベントでのお花づくりをしたり、「世界の花屋」というブランドサイトを監修したり、花を色んな方に届けるための活動をしています。

前田さんの20代は人気アナウンサー。一方、佐藤店長は…。

佐藤
いつもTVで見ていた前田さんが、お花のお仕事をされていて、しかもお母さんになっていて、と知った時は、なかなか衝撃的でした。

私も、いつも欠かさず家に花を飾って生活してきたので、遠い人だったのがぐっと近く感じられて。

そんな中、イベントでの対談のオファーを前田さん自らメールでくださったんですよね。その時は事情があってお断りしてしまったので、今日は改めてお話ができて、とっても嬉しいです。

前田
私も嬉しいです。佐藤さんは、「北欧、暮らしの道具店」を始められるまでに、いろんなお仕事をされていたんですよね。

佐藤
そうですね。10年間アナウンサーという1つのお仕事をされていた前田さんとは、真逆の20代だったかもしれません。

私の20代は、ちょっとした短期バイトも入れたら10個くらいの仕事を転々としていて。

実は、お正月に断捨離をしていて、その頃に書いていた日記が出てきたんですけど、その自分の日記にあたっちゃったというか、具合が悪くなっちゃって(笑)

前田
どんなことが書かれてたんですか。

佐藤
伊達公子さんがインタビューでこんなことをいってたとか、村上春樹のこの小説の一文がすごいとか、心に響いた言葉が写経のように書いてあって。理想とすることがモヤモヤとたくさんあって、それを書くことで消化していたんだと思います。

とにかく、暗いんですよ。この人暗い!!ってびっくりしちゃって。うすうすは自分のことなので覚えてるんですけど、でも、こんなにかって思いました。

前田
暗いのは、言葉ですか?内容がですか?

佐藤
うーん、とにかく、出口がないんですよね。ほんとに苦しかっただろうなっていう感じで。

私は、ささやかでも良いから「人の生活にポジティブな影響力を与えるということがしたい」とずっと思っていて。

それは、自分自身が学生時代の頃から、社会に出た後も、本当に居心地がいいなと感じられる場所がなかなか見つけられなくて、心の中で、何か噛み合わない、なんか元気が出ない、自分が自分として生きている感じがしないっていうのがずっとあって。

もしそういう人が私の他にいるんだとしたら、ささやかでも良いから元気づけたりとか、希望になったり、励みになったりするような何かをしたいってことだけがあって。

でもそういうことって、言ってしまえば、あらゆる仕事ででき得る可能性があるじゃないですか。

前田
たしかにそうですね。

佐藤
居心地の良い場所をつくればいいのかとカフェに勤めたり、誰かを勇気づける物を書けば良いのかと文章を書いてみたり。

ダイレクトに疲れている人を元気にしようと、マッサージや香りの資格を取って、自宅で開業して2年半くらいサロンをやったものの、自分の首がひとつもまわらなくなるくらい体を壊して辞めてしまったり。

色々やるんですけど挫折する。頑張るけど認めてもらえないっていう。

そして、ここで挫折したらまじで立ち直れないと思う、自分の聖域であったインテリアの仕事についたんですけど…、そこでも挫折ではないんですけど、続けられないかもって思っちゃったんですよ。

前田
ああ…。

佐藤
そんな矢先に、兄から誘われて、今の会社を作って、「北欧、暮らしの道具店」を作るところに至って、約10年ですね。

会社に就職しても「自分探し」は続く。

佐藤
私はこんな20代を過ごしましたが、前田さんはテレビ朝日というテレビ局に勤めて、色んな実績や経験を積まれていて。

当時の私がほしかったのって、そういうことだったと思うんです。職を点々とする自分が嫌だったし、最終的にどこに行くのかわからない、この旅はいつ終わるんだろうって苦しくて。

前田
佐藤さんのいろんな道を試されていた苦しい20代と、私のアナウンサー時代は違うように見えるかもしれないのですが、実は私は佐藤さんのお話に共感しかなくて。

定職についていたとしても、自分のしたいことってなんだろうって悩んでいる人って多いと思うんです。私もそうでした。むしろ、ずーっと悩んでいた20代だったんですね。

佐藤
そうだったんですね。では、そもそも、なぜアナウンサーになられたんですか。

前田
スポーツが好きだったので、スポーツに関わる仕事がしたいということでテレビ局を受けたんですけど、一番最初に受けた会社がテレビ朝日で、受かったので、就職活動もほとんどすることなく仕事に就いてしまって。

あ、正確に言うと、パイロットの試験も受けていたんですけど…。

佐藤
え、パイロット???

前田
はい。父親がパイロットでしたし、空も好きだったので受けていたんですけど、3次試験がアナウンサーとパイロットで重なってしまって。

それで、私がテレビに出るのと、私が操縦する飛行機に乗るのとどっちがいい?と周りのみんなに聞いたら、10人が10人、テレビのほうが見てみたいかな〜って。あなたが操縦する飛行機は、正直、乗りたくないかなって言われたので、じゃあ、アナウンサーにしようという流れで。

ですから、就職を決める時点で、自分とは?とか、本当にしたいことは?とか、深く突き詰めることなくテレビの世界に飛び込んでしまいました。

佐藤
なるほど…。

前田
そして入社して、無我夢中に過ごして5、6年が経った頃、仕事にも慣れてきて、テレビの世界も知って、これって本当に自分のやりたいことなのかなってのを考えるようになったんです。

特に、アナウンサーの仕事では、スポーツ選手や、何かの専門家であったり、自分の仕事が大好きだという方にお会いする機会が多くて。みなさん目をきらきらさせて、年齢とか関係なくチャレンジしているんですね。そんな姿を見ていたら、自分の本当に好きなことは今やってることなのか、他にあるのかもと考えだしてしまって。

でも、アナウンサーを辞めようなんて、あまり人に言っちゃいけないことだと思っていたので、密かに胸に抱いて、自分の中でちょっとずつ突き詰めていきました。

だから行動として、10年間同じ会社に勤めたというところは佐藤さんとは違うけれども、心の中では、同じように、いつも自分探しをして、悩んでいましたね。

これが理想の仕事だと気がついた瞬間。

佐藤
そこから、留学しようということになって、イギリスに行かれたんですね。城に…

前田
そうですね。城をめざして。その時は花と植物を仕事にするぞという漠然とした思いでしたが。

佐藤
実際に行かれて、いかがでしたか。

前田
アナウンサーだった時、地下鉄で通勤していたんですが、時々、電車に揺られながら、私の「理想の通勤」てどんなものだろうって想像していたんです。それで、自然の中を、美味しい空気を吸いながら通勤するのが理想だな〜、なんて考えていたんです。

そして、イギリスに来て、お城に通勤していたわけなんですけど、毎日羊がいっぱいいる牧場を通らないと辿り着けなくて。糞もたくさん落ちていて、スニーカーも泥だらけになるような道だったんですけど、ある日通いながら、「あ、夢が叶った」って思ったんです。そういえば六本木の地下鉄で、私、緑の中を通勤したいって思ったなって。

佐藤
たしかに、叶ってますね!

前田
あと、通勤だけじゃなくて、格好も全く変わってしまって。

スニーカーにズボンを履いて、お城から支給されるトレーナーを着るんですけど、一枚しか支給されないので、毎日着ていて。最初は洗ったりしていたんですけど、だんだん間に合わなくなって、ほぼ洗わず毎日着ているので、土とかいっぱいついてて。

それで、ある日ふと鏡を見ると、顔にも泥とかついていて。

ちょっと前までは、ハイヒールを履いて、与えられた衣装を着て、ヘアメイクをしてもらってテレビに出ていて。鏡の中の自分とつい数ヶ月前の自分の違いぶりがおかしくなってしまって。

なんか泥だらけだ、全然ちがうって、草を抜きながらおかしくて笑っちゃったんです。でも、その時に、あれなんかこの自分がけっこう好きだなって思ったんですよ。

前の自分とは違うけど、今の自分のほうが自分らしい気がするって。それはなぜだろうと考えたら、大好きな自然の中で仕事をしているからだと。じゃあ、私は日本に帰って、本気で誰かの元について修行して、これを職業にしようってその時に決めました。

佐藤
素敵ですね。すごい行動力ですし。

前田
佐藤さんは、「北欧、暮らしの道具店」をはじめて割りとすぐにこれだって思われたんですか。

佐藤
それが、そうおもったんですよね、すぐに。

前田
すごい!すごいですね、それは。

佐藤
私がそれを感じたのは、初めて北欧に買い付けを行った時、蚤の市で、机の下に良いものが眠ってるからと、四つん這い状態で、もうなりふり構わずに売れそうなものを探しているときで。

別にブランド物とかではなくて、ただの木の箱だったりするんですけど、これはこうやって使ったら、こんな風に生活を豊かにするかもしれないと、誰かの暮らしのイメージがわあっと湧く瞬間というものがあって。もう、我を忘れる瞬間というか、そういう時は、自分とは?とか面倒くさいことは考えてないんですよね。

前田
わかります!これだっていう感じですよね。

佐藤
そのくらい夢中になってしまって。それを持って帰ってきて、今度は自分で考えて値付けをして、販売したら買ってくれるお客様がいたってときに、もう、ほんっっっっっとに嬉しかったんですよね。

前田さんも、最初に「世界の花屋」で注文が入った時に嬉しかったってSNSで書かれてましたよね。

前田
そうです、そうです。嬉しかったです。

佐藤
あの気持ち、ものすごく分かるって思って。最初にいただいたご注文が、どんな商品で、何ていうお名前、どういうメールアドレスのお客様だったかということまで、こと細かに、10年経っても覚えてるんですよ。

前田
素敵です。

佐藤
私が我を忘れて蚤の市で見つけた商品に、同じように価値を見つけてお金を出してくださる人がこの世の中に私以外にいたのか!っていうこの喜びですよね。

その後、運営していく中で、これを買って育児のイライラが一瞬でも忘れられますとかお便りをいただいたりして、若いときから追いかけていた、誰かの暮らしに元気をとかポジティブな影響をとかが一周回って返ってきて…

前田
あ、これだったのかって。

佐藤
そうです、そうです。誰かの切実な暮らしの中に商品を届けることで、ポッと暮らしが豊かになったり、元気になったり、がんばろうって思ってもらったり、この真ん中にあるものを見つけてくるのが私の仕事なのかもって思えたんですよね。

不安に勝った未来の自分への好奇心。

佐藤
前田さんにとって、今かな?という行動の起こし時は、アナウンサーを続けた10年間で何回かあったのでしょうか。それとも最終的にお辞めになったときだけがそのタイミングだったんですか?

前田
趣味としては、アナウンサーをしてる間も、植物を育てたり、花のアレンジを習ったりしていたんですが、とにかくいつも想像してたんですよ。先程の通勤の話もそうなんですけど、違う人生を歩んでる自分を想像していて。

辞めようかという気持ちは、最初は、本当に小さな欠片で。胸の中でだけ秘めておこうと思っていたんですが、通勤が緑の中だったら楽しいな、とか思うとその欠片がちょっと膨らんで、イギリスのことを調べ出したら、行ってみたい、本場の庭を見てみたいとか、仕事にしてみたいとか、だんだん膨らんできて、それが抑えられなくなってしまって。

だから、これというきっかけというよりは、自分のなかで好奇心が不安を上回ったときが、やめようと思ったときですね。

佐藤
きっとこのクラシコムジャーナルを読んでる方も、「北欧、暮らしの道具店」の読者の中にも、「好き」を仕事やビジネスにするかどうか問題で悩まれている方っていらっしゃると思うんです。

前田
ありますね、その問題。私も、そういった相談をされることが多いです。会社員だけど、本当は違うことがしたいとか。

佐藤
好きなことでビジネスをするとか、仕事にしていくって、すっといかないことがすごく多いですよね。でも、前田さんは、経歴だけお聞きしていると迷いなく進まれているようにも思えるのですが。

前田
いや、ありましたね。まず、会社を辞めるときに親に大反対されましたし。せっかく入ったんだから、かじりついてでも会社にいなさいって。私自身も、普通に学校に通って、大学を出て、このレールから外れることへの不安はありました。

ただ、やっぱり、不安よりもその自分がみたいって好奇心が強くなったので、そこからは迷いなく進んだと思います。

会社の中でも、応援してくださる方も多かったんですけど、残ったほうが良いよとか、そんなの無謀だとか、自分には無理だなとか言われたりしたんですけど、やめようと思った時はもう、そういった言葉に流されることなく、いやいや私は見てみたいんです、その先の未来を!という感じだったので。

やめろって言われてもやりたいって思うかどうかは、ひとつ、自分の経験をもっていうと大事なのかなって思います。

人生は「やるか、やらないか」の二択じゃない。

前田
ただ、そうはいっても会社を辞めるっていうのは一大イベントなので、小さく始めるということをおすすめしたいですね。いきなり辞めなくても、週末に友達を集めて小さなワークショップを開いてみるとか、その道のプロの方の声を聞きに行くとか、色々な方法があると思うので。

イチかゼロじゃなくて、小さく始めて進んでいくっていうやりかたもあるのかなと思います。

佐藤
イチかゼロじゃない、その「間」があるという考えは、私も他のことでも言い聞かせていることで。私は山羊座なので、ゼロか100か人間でして…。

前田
私も山羊座です!山羊座ってそうなんですか!

佐藤
わあ、嬉しい!!

そうなんですよ。山羊座って極端なところもあるらしいです。とにかく使命感と責任感の星。決めたことを死ぬまでやる、やらないならやらない、やるならとことん徹底的にやってやるっていうところがあるみたいなんですね。

前田
分かる気がします…。

佐藤
でもそれだと、自分の行きたい道を自分で壊してしまうことがあるので、前田さんがおっしゃったように、途中を許すというか、中途半端だとは思わないようにするというのは、子育てにおいても、色んなことにおいて大事にしていて。

今の宙ぶらりんな状態にも意味があるというようにするとか、そういうことは年齢を重ねてきて少しずつ学んだ考え方かなって思います。

動けない、立ち止まる時間があったから今がある。

佐藤
前田さんがご自分の過去を振り返った時に、逆に10年仕事を続けていてよかったって思うことはありますか?行動に出なかった10年を認めてあげられるようなこととか。

前田
ありますね。10年という時間をかけて、じっくり自分と向き合うことが出来ましたし、1つの仕事をしたぞと一区切りが付けられたということはありますね。

ただ、すぐ辞めてたら、もっと色んな学校で花の勉強をできたかもしれない、という想いはありますし、実はその10年続けてきたことで、辞めた後に苦しい時期もあったんです。

アナウンサーを辞めて、花のお仕事を始めてから時間が経って、自分の中ではだいぶ先に来たつもりなのに、「アナウンサーさんですよね。やべっちFC見てました!」って言われちゃっていて。楽しかったし、素晴らしかった10年なのに、過去が自分の足をひっぱっているように思ってしまっていました。

でも、それを前の会社の方に相談したときに、それは前田が10年ちゃんとやってきた証拠なんだから、その自分を認めて、その次の10年で、みんなが過去を忘れるくらいの活躍をしたらいんじゃないって言っていただいて楽になったんです。

いま、たくさんの方に応援してもらっているのも、アナウンサー時代があったからだと思いますし。私は少し特種な仕事ではありますが、動かない時期というのも、大事だなと今は思います。

佐藤
動かなきゃ、動かなきゃと思ってる人は多いと思うんですね。これが好きだってわかってるなら仕事にしなきゃとか。みんながみんないいタイミングで行動に起こるわけじゃないと思うんです。

でも、それはそれでいいんじゃないかなって思うんですよ。

それより、過去に、自分がやったことを肯定できるってことがすごく大事かなと思っていて。私も日記を読んで食あたりのようになりましたけど、でも、この不毛な時間が今の自分にエネルギーを与えてるんだなって再確認したんです。

モヤモヤしたり苦しんだりしてる最中って、本当にわからないことが多いけれど、ふと一周した時にこれだったのかって思える瞬間があるかもしれないし。

私の場合も、今は今で、きっと別の種類の苦しさがあって。今はもう日記は書いてないですけど、今書いていたとして、52歳の自分が読んだら、やっぱり「暗いな〜」って思うと思います。でも、52歳の自分が、42歳のときに、ああいう風に思ってたから今があるのかなって思えるような歩みができればいいな、と思っています。

前田
考えることって大切ですよね。私は今走り出して、走り続けるしかなくて。

特に今は子育てもしてるし、自分って何だろうって考える時間なんてないし、
10年間の中で悩んでいる時は苦しかったけど今は、ゆっくり自分に向き合うことが出来たあの時間が懐かしいです。

「好き」は仕事にするほうが幸せ?しないほうが幸せ?

佐藤
好きを仕事にしたらしたで、別の辛いことが生じることだってありますし、私にもそれはありますし、きっと前田さんもおありだと思うんですよね。

前田
そうですね。私も好きの形は必ずしも仕事にしなくてもいいとは思います。

佐藤
幸せって、好きなことを仕事にするとイコールではなくて、全然ちがう方程式なんだとは思うんです。

私自身も含めて、もしかしたら多くの女性にとってキーなのは、人生の進捗感というか、過去の自分を少し肯定しながら、進捗していってる感じをどういう風に実感できるかということなんじゃないかと思うんです。

自分が進んでる感じがすごく大事な感覚なのかなって思うんですよね。ずっと止まってない。後退してることもない。なんか進んではいる。

前田
今の自分は、3ヶ月前と違う、とか。

佐藤
そうですね。それは自分の「好き」が何かわからなくても、「好き」を仕事にしなくても、自分の中で進んでるものを確かめられるっていうのが生きる元気になるのかなって。

前田
私の周りにも、今の仕事を辞めて、好きなことを仕事にするかずっと悩んでいた子がいたんですが、結局今の仕事は辞めずに、好きなことは趣味で続けると決めたんですね。今では、すごく穏やかな笑顔で楽しんでいて。

辞めるも続けるも、仕事にするしないも、主導権が自分にあれば、何を選んだとしても、それが答えになれるのかなと思います。だけど、主導権が自分になくなってなると苦しくなったり悩んだりするのかなって。

佐藤
本当にそうですね。

ーーーでも、仕事にしたらこうなるだろうって好奇心が勝っちゃうと、おふたりとも仕事に…

前田
しちゃうんですよね。

佐藤
我を忘れちゃうあの経験をすると、仕事として頑張って行こうかって覚悟、というか覚悟とかいう難しいことすら考える前にもうやってるっていう。気付いたらやってる。

前田
動いちゃう、って感じですよね。

 


テレビで見ていた通り、柔らかな笑顔が可愛い前田さん。

後半では、ふんわりした印象はそのままに、現在取り組まれているビジネスや、これからの夢について熱く語る、新しい前田さんの姿を見せてくださいました。

後半「やっと見つけた大きな夢、健やかに追い続けるためには?

PROFILE
フラワーアーティスト
前田有紀
慶應義塾大学総合政策学部卒業後、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。「やべっちFC」など、人気番組を担当しながら、2013年に退職し、イギリスへ留学。フラワースクールと語学学校に通った後、インターンを経て日本へ帰国。自由が丘の生花店「ブリキのジョーロ」で約3年働く。現在はフラワーアーティストとして、花を使ったイベントの空間装飾や、輸入販売ブランド「世界の花屋」をプロデュース、雑誌での連載など、多岐に渡って活躍中。

好きなもの:豆から淹れたコーヒーと過ごす朝の時間